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連載

チョーディンを継ぐ誇り高きラカイン民族の二世。サッカー日本代表を目指すカウンゼンマラの挑戦

第25回

木村元彦(ノンフィクションライター、ビデオジャーナリスト)

 ミャットゥの身辺にも危機が迫っていた。危険なことに、大学卒業後に彼が所属させられたクラブは内務省のチームであった。内務省=警察、いわば国家権力の中枢のチームでプレーをしながら、ミャットゥは戒厳令下でも民主化運動を続ける学生たちを支援していた。当然ながら、公安局や軍事探偵はこの情報を得て、ミャットゥを監視し続けた。締め付けは厳しくなり、警察による拘束が秒読みという状況になっていく。1991年、ミャットゥは逮捕される直前に空路でマカオに逃れ、やがて日本に着いた。
 東京でビルマ民族の女性と結婚し、マラが生まれた。かつてのバレーの英雄もミャンマーに帰国すれば逮捕と拷問が待っている。家族のために難民申請を続けるが、却下が続き、時間だけがいたずらに過ぎた。

サッカー少年に浴びせられた差別

 日本生まれの日本育ちで、日本語も堪能なマラが小学校でいじめられたのは、黒い肌の色が原因だった。「お前は俺たちと違う」。子どもゆえの無知からか、心臓を抉るような残酷な言辞が日々、浴びせられ、無視もされた。家の中ではミャンマー語が使われていた。「もう学校には行きたくない」と泣くマラにミャットゥは言った。

「重要なのは肌の色ではない。実力を磨け。世界を見ろ。ネルソン・マンデラという偉大な人がいた。彼は肌の色が黒かったということで、何十年も刑務所に入れられていた。しかし、後に大統領になった。お前も実力で差別する子を見返してやれ」

 マラは小学2年生のときに転校してきた子と友だちになった。その子がサッカーを始めたので、同じチームである江東区のバディSC江東に入った。ミャットゥはそこで、あるGKの映像を息子に見せた。

「自分が小学3年生のときです。オリバー・カーン(当時のドイツ代表)のW杯のセーブ集をお父さんに見せられたんです。その瞬間に自分は衝撃を受けました。キーパーってこんなにかっこいいんだ。自分もあんな逞しい男になりたいと思って、それからはずっとGK一筋でやってきました」

元ドイツ代表、オリバー・カーン選手

 父親ゆずりの運動神経でクラブのレギュラーになっていったが、差別がなくなったわけではなかった。ある日、マラは日本代表のレプリカユニフォームを着て練習に行った。サッカーをやり始めた子どもならば、誰もが憧れて袖を通すそれはマラにとっても大きなモチベーションに繋がるものだった。しかし、チームの仲間の一人がその姿を見て言った。

「お前はいくらそれを着てきたって、日本代表にはなれないんだぞ」

 当時ミャットゥはまだ難民申請中であり、そしてマラは学校で否が応でも自分が日本人ではないことを意識させられていた。サッカーをプレーするときだけは公平な実力の世界だと子ども心に思っていたが、そこに浴びせられた心の無い言葉。

「でも僕は知っていたんです。今は日本人ではなくても国籍を取れば、ラモス瑠偉選手とか、三都主アレサンドロ選手とか、呂比須ワグナー選手みたいに日本代表になれるって。その子が言うことは、絶対そんなの間違っているって自分は分かっていたんです。だけど、言い返せずに本当にそのときは苦しかったです……。学校では相変わらず、肌の色のことを言われたり、仲間外れにされることもあって、つらかった。でもそこで自分を支えてくれたのはやっぱり大好きなサッカーでした。同級生がみんなで遊んでいる中で、よく自分ひとりでボールを蹴りに行きました」

 自分は日本人ではないから、日本代表にはなれない。なぜ、自分はここにいるのか。そんな悩みをぶつけられたミャットゥはマラをJFAハウス(日本サッカー協会ビル)にある日本サッカーミュージアムに連れて行った。
 サッカー殿堂入りの人物が展示されているコーナーを訪れると、そこに飾られているチョーディンの写真を見せた。

「これが誰か分かるか。日本サッカー殿堂入りしているこの人は、私たちと同じラカイン民族のチョーディンという。90年ほど前にビルマから日本にやってきて、日本の人たちにサッカーを教えたことで、ここで飾られているのだ。アジアのサッカーのレベルを上げたのは、我がラカイン民族だ。何を気にしているのだ。お前はそれをまず誇りに思うのだ」

 大正時代にイギリス統治下のビルマから、東京高等工業学校(現・東京工業大学)に留学生としてやってきたチョーディンは、サッカーの母国スコットランド人仕込みの本格的なパスサッカーを日本の学生に教えた。後の日本代表監督となる竹腰重丸をはじめとする選手たちはその薫陶を受けて飛躍的に技術や戦術の理解を深めた。日本サッカーの父と言われたデットマール・クラマーが1960年にドイツから来日する、そのはるか前に築いた功績が認められて、2007年にチョーディンは日本サッカー殿堂入りしている。しかし、チョーディンがビルマからの留学生ということは、知られていたが、ラカイン民族であったことを認識している人は協会関係者も含めて果たしてどれだけいただろうか。
 マラの気持ちはこのサッカーミュージアム訪問で確固となったと言える。ラカインの先人の偉業を知った。肌の色も属性も恥ずかしく思うどころか、誇るべきルーツではないか……。自分はいつか必ずプロに、そして日本代表になる。それは、差別を見返すというよりもチョーディンのようにこの国のサッカーに貢献したい、そして故国ミャンマーの人たちに自分たち民族でも日本のトップになれる姿を見てもらいたい、という切なる思いだった。

小学生のときから入管の書類を書く

 生きていくためにプロになるという明確な目標がかたまり、バディSC江東でサッカーに向けて真摯に取り組み続けた。やがて小学生のマラは自分たち家族の法的地位に向き合わされていく。
 父のミャットゥは難民認定のために何度も出入国在留管理局(入管)への出頭を求められていた。やがて認定されると、次は定住から永住に切り替える必要があった。すでに父よりも日本語が堪能になっていたマラは両親を連れて品川の東京入管に通い、必要な書類に記入した。

「小学4年生の頃、毎月更新に行っていました。在留するための書類が必要で、自分でもよく分からないんですけど、大人の人に聞いたり、一生懸命調べながら書いていました」

 ザイリュウ、テイジュウ、コウシン、シュウロウ、等々、耳慣れない言葉を前にする度に10歳の少年は立ちすくんだが、それでも家族の中で日本語が最も堪能な自分が書くしかない。法律を調べ、そこで知ったのは、残酷な現実である。
 難民申請が認められないままミャットウが長期収容されると、家族はどうなるのか。日本で生まれ育ちながらマラ自身も在留資格がなく、強制送還の対象となる。

「大変でした、あの頃は、家族みんなが苦しくて、本当に明日からもう日本にいられなくなるかもしれないと思うと怖かったです。せっかくサッカーでできた友だちと離れ離れになってしまうとか考えると本当に怖くてたまらなかったです」

 GKとしての努力が認められ、小学校6年生でU-12東京都選抜に選ばれてドイツ遠征に行くことになった。日本のパスポートを持っていないマラは再入国許可証を申請するために東京入管に、またドイツビザを取得するために広尾の大使館まで何度も足を運んだ。

「ビザ申請はほぼ自分が書いて、親が英語の部分を読むという役割分担でした。ドイツに出発するまで1~2カ月あったんですけど、その期間、週に1回から2回、ドイツ大使館に通いました。空港でも自分だけ別に面談があったり、入国審査の人が再入国許可証を知らずに足止めされたりして、その度にチームのみんなを僕のために待たせてしまってそれも嫌でした。ただ、そんな境遇でも自分のために動きまわってお世話をしてくれたスタッフの方には本当に感謝をしています」

 マラはドイツ、中国、タイと遠征を重ねた。

多国籍チーム、ヴェルディのユースでプロへの道を意識する

 小学校を卒業すると、ヴェルディのジュニアユースに入団した。江東区に住んでいるのなら、深川にアカデミーのあるFC東京のほうが近いのでは、と訊くと、そこにはあえてヴェルディを選んだ明確な理由があった。

「小学校5~6年のときは自分もFC東京のアドバンスクラスに所属していたんです。そこから上に上がるときに一緒にやっていた熊倉匠選手(後に山梨学院高校、現在立正大学)が先に、FC東京への入団が決まってしまったんです。それがすごく悔しくて。だったら東京のもうひとつのチームに行って見返してやると思ってヴェルディに入りました」

著者情報

ノンフィクションライター、ビデオジャーナリスト

木村元彦

きむら ゆきひこ

1962年、愛知県生まれ。中央大学卒業。東欧やアジアを中心に、スポーツ文化や民族問題などの取材、執筆活動を続ける。著書に『誇り』(98年、東京新聞出版局)、『悪者見参』(2000年、集英社)、『終わらぬ「民族浄化」セルビア・モンテネグロ』(05年、集英社新書)、『蹴る群れ』(07年、講談社)、『社長・溝畑宏の天国と地獄』(10年、集英社)、『争うは本意ならねど』(11年、集英社インターナショナル)、『徳は孤ならず』(16年、集英社)、『橋を架ける者たち』(16年、集英社新書)、『無冠、されど至強』(17年、ころから)、『コソボ 苦闘する親米国家 ユーゴサッカー最後の代表チームと臓器密売の現場を追う』(23年、集英社インターナショナル)など多数。『オシムの言葉』(05年、集英社インターナショナル)で第16回ミズノ・スポーツライター賞を受賞。

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