第一次世界大戦――社会の根底を覆した史上初の総動員戦争
吉田徹(同志社大学教授)
『大いなる幻影』が、大衆の担う「労働者」という存在が、歴史の主役に躍り出たことを印象付けたとすれば、塹壕での彼らの姿を描くのは『ザ・トレンチ(The Trench)』(1999年)です。イギリスの作家ウィリアム・ボイドが監督を務めたこの作品には、後にジェームズ・ボンド役に抜擢(ばってき)されるダニエル・クレイグ(ちなみに監督はボンドの小説シリーズも手掛けています)や、イギリスの人気ドラマ『ピーキー・ブラインダーズ』の主人公役で注目されたキリアン・マーフィなど、イギリス映画界の新世代も出演しています。
前線と銃後が地続きになったことで、戦争はもはや非日常ではなく、日々の生活の延長線のものとなります。WW1は1914年7月に勃発しますが、『大いなる幻影』でも触れられているように、国を問わず、年内に終わるものと想定されていました。それが前線での膠着(こうちゃく)状態が続き、4年もの長きに渡って戦われることになりました。
こうした兵士の終わりのない戦争生活を描くのが、『ザ・トレンチ』です。
『大いなる幻影』と異なって、この作品は前線が舞台ですが、やはり派手な戦闘シーンはありません。描かれるのは1916年7月1日の「ソンムの戦い」と言われる、2時間でイギリス兵6万人が戦死した悲惨な戦いに至るまでの、死と隣り合わせでありながらも、退屈な3日間です。
WW1が想像以上に長引いた理由の一つは、ドイツ軍がベルギー経由でフランスに侵攻(「シュリーフェン計画」)した後、補給線が延び切ったために退却、その結果、仏独国境線で両軍のにらみ合いが続いたからでした。「掩蔽壕(えんぺいごう)」とも呼ばれた塹壕から一度出れば、近代兵器たる機関銃や大砲でもって、すぐに殺されてしまう。それゆえ塹壕に篭ることが各軍の合理的な戦略となりました。このため、戦闘と生活が同居することになったのが、仏独国境にある「西部戦線」の特徴でした。
この状況を当時のある兵士はこんな風に日記に書いています。「塹壕でかちかちのパンを食べていて、横にいた仲間が銃弾に当たって死んだとしよう。ちょっとの間、静かに彼をみているだろう。そしてすぐまたパンを食べはじめるのだ。だってどうすればいい。できることはなにひとつないのだ」(*5)。
『ザ・トレンチ』でフォーカスされるのも、350メートル先のドイツ軍の塹壕を見据えつつ、どうしようもなく弛緩(しかん)した日常です。10代で徴兵された若い兵士は、当時まだ禁断だったヌード写真を取り合い、上官の文句を言い合う。現場を預かるハート中尉は重要な決断を何もできず、クレイグ扮するウィンター軍曹はノルマ達成のため、兵士を叱咤激励する中間管理職として振る舞います。戦闘が起きない中では、塹壕掘りや偵察を命令しておかないと士気が落ちてしまうからです。まるでブラック企業の職場と変わらない風景が塹壕内で淡々と繰り広げられます。
この前線でドイツ兵として戦い、後に作家として有名となるエルンスト・ユンガーは、「労働としての戦争」を書き綴った人物でした(第二次世界大戦時にナチ将校として徴兵されたユンガーの姿は映画『シャトーブリアンからの手紙』で見ることができます)。彼は自らの戦闘体験から、個性を持たず、目的も持たない、ただ単に塹壕を掘り、そこで生き残ることだけを目的とした「労働者」を戦争に見出しました。そして「ここに騎士道精神は永遠に消滅した。あらゆる高貴な人間的感情とおなじように、それは戦闘の新たなテンポと武器の法則に屈したのだ」(*6)と書き、ここに戦争を通じた「新しい人間」が生まれたのだ、とも記します(*7)。
『大いなる幻影』が不可避的に消え去っていく19世紀の高貴さを描くものだとしたら、『ザ・トレンチ』は、そのことで生まれていった、戦場をも覆った労働世界を描くものです。映画の中の「鉱員を辞めてまで来たというのに」という若い労働者階級(アクセントで分かります)の一兵卒が発する言葉が、それを物語っています。
それだけに、映画のラストを飾る、上層部が業を煮やして7月1日に命令をする総攻撃の悲惨さが強調されます。ウィンター軍曹は、それが自殺行為だということを知っています。それでも命令に従わざるを得ない。日常と死が一直線に並びつつも、それが大きな断絶によって隔たれている――ここに総動員戦争であったWW1のもう一つの特徴があります。
『戦場のアリア』――国民を超えた連帯意識

映画『戦場のアリア』より
熾烈(しれつ)を極めた塹壕戦ですが、戦争の始まる1914年から翌15年くらいまで、仏独両国の兵士間の敵対意識、つまりナショナリズムは、さほど強烈なものではありませんでした。実際、ノーマンズランド(両軍の塹壕を隔てる緩衝地帯)は数百メートルほどしかなく、敵の顔が目の前に見えたり、偵察中に敵と出くわしたりすることは日常茶飯事で、互いに冗談を言い合ったり、くだんの缶詰を交換したりすることもあったようです。こうした現象は当時「敵兵との交歓」と呼ばれ、士気に関わると、各軍上層部の神経を尖らせていました。
総動員戦争であるにもかかわらず、否、むしろ総動員戦争だったからこそ成り立つ兵士たち同士の友情関係を描くのが、クリスチャン・カリオン監督『戦場のアリア(Joyeux Noel)』(2005年)です。この作品は1914年のクリスマスに、各前線で実際に見られた「敵兵との交歓」を題材にしています。戦場で敵兵同士がともにクリスマスを祝う、というのは非現実的に聞こえるかもしれませんが、記録によるとベルギーとフランス北部に展開していた英独軍の兵士の4分の3が経験したとされています。
映画はかなり脚色されていて、デンマークのオペラ歌手役で、実生活でも英語、ドイツ語、フランス語を喋る美しきダイアン・クルーガーと、夫であるドイツ人将校との間のラブロマンスが主軸になっています。彼女は前線にいる夫に会いたいがためにクリスマスに兵士たちを慰問することを提案し、ここからドイツ軍の塹壕にクリスマスツリーを飾る計画が持ち上がります。
対するフランス軍とイギリス軍(映画ではスコットランド軍)の塹壕内の兵士たちも退屈しています。『ザ・トレンチ』のシーンにもあったように、クリスマスには自国に帰れると誰しもが思っていたため、郷愁も募ります。そこに聴こえてくるスコットランド軍のバグパイプと合唱(「故郷を夢見て」)に、ドイツ軍のテノール歌手が讃美歌(「きよしこの夜」)で応えます。祝祭ムードに包まれた戦場で、将校たちは自分たちだけは一時休戦することで合意をします。これ以降、3国の兵士はともにミサに参列し、サッカー試合をし、ノーマンズランドに広がる死体を回収するといった風景が広がります。そればかりか、休戦が終わっても、後方陣営から砲撃があることを相手に通告し、自らの塹壕に敵軍を招き入れるまでの協力関係が育まれます。
ここまでではなくとも、1914年12月のクリスマスに、サッカー試合や物資の交換などが敵国兵士同士であったことは史実です。ただ戦争に勝つことが目的だった過去の戦いに対し、WW1では誰しもが当事者になったために、国に関係なく、生き残ることこそが共通の目標となったからです。戦死に国籍は関係ありません。だから、クリスマスという共通経験を経て、兵士たちにとって戦争の意味は大きく変わったことでしょう。「ドイツ人を殺せと叫ぶ連中より、ドイツ軍の方が人間的だ。私の戦争はあの塹壕なのだ」という、「敵兵との交歓」を経験したフランス軍将校のセリフがその心象を表しています。
ナショナリズムと、それを支える大衆という構図を生み出したWW1という前代未聞の戦争を経験してもなお、私たちは戦争の世紀を超えるだけの知恵をまだ見出せていません。