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連載

独裁者――いかにして生まれるのか

第6回

吉田徹(同志社大学教授)

 軍部が喧伝する反ユダヤ主義に染まるようになり、ただ自我の空虚を埋めるために絵を描くヒトラーに、「君の肉声を感じ取れないんだ」とロスマンは自身の内面に正直であるよう迫ります。もっとも、自身の画才のなさにもがき苦しむヒトラーは、政治か芸術かの間で揺れ動き、結党間もないナチ党での演説を請われたのをきっかけに「政治自体が新しいアートだ」と、政治の道に傾いていきます。ロスマンは、政治に目覚めたヒトラーが描いた将来のナチス建築を彷彿とさせるスケッチを見て、その才能の開花に驚き、本格的にデビューさせようとします。もっとも、とある事件が起きたため、この約束は果たされないままに終わります。もし2人が再会することができれば、独裁者ヒトラーは生まれなかったであろうことを想像させるラストです。

 ヴェルサイユ体制に不満を持ち、ヒトラーの演説の才能を体制打倒のために利用しようとする軍部の上司は、彼を指して「空虚な社会の申し子かもしれない」と彼の正体を見切ります。父権なき空虚な社会において、ロスマンは何も信じられず、ヒトラーは何でも信じたい、対照的な人物として捉えられています。ファシズム台頭の理由として、世界の現実を見ようとせず、自らの経験も頼りにならず「勝手にこしらえ上げた統一的体系の首尾一貫性」があったとするのは、やはり「前線世代」の1人に数えられる哲学者ハンナ・アーレントでしたが、芸術ではなく、政治で空虚を埋めようとしたのが、ヒトラーという独裁者でした。

『ちいさな独裁者』――権威主義の伝染

 ハンナ・アーレントの名前は、1963年にイスラエルで裁判にかけられたアドルフ・アイヒマンを「凡庸な悪」と呼んだことで知られています。ナチスの親衛隊将校だったアイヒマンは、各地のユダヤ人をポーランドの絶滅収容所に移送する責任者でしたが、その責任感のなさをつづったのがアーレントの裁判傍聴記『エルサレムのアイヒマン』でした。彼女は、「アイヒマンという人物の厄介なところはまさに、実に多くの人々が彼に似ていたし、しかもその多くの者が倒錯してもいずサディストでもなく、恐ろしいほどノーマルだった」(*4)ことだと記録しています。人類史に残る犯罪を上司の命令に過ぎなかったからと淡々とサラリーマンのようにこなしたアイヒマンのその無思考こそが批判の対象となったのでした。

 悪は無思考から始まる、というアーレントの主張をなぞるのは『ちいさな独裁者』(ロベルト・シュヴェンケ監督、2017年)です。映画の主人公は、ドイツ空軍の上等兵だったヴィリー・ヘロルトという、実在の人物です。

 ヘロルトは、第二次世界大戦でドイツ敗北が濃厚となった1945年4月に脱走し、命からがら逃走する途中、偶然にも将校の軍服を手に入れます。序列そのものである軍隊での軍服は、権威の象徴そのものです。将校の軍服を着込んだ彼を上司と思いこんだ兵隊を従え、へロルトは生き延びるために架空の命令をでっち上げ、各地に赴きます。自分が作り上げた「ヘロルト親衛隊」に脱走兵を次々と迎えて、既成事実を積み上げることで、彼は共犯者を増やしていきます。弱肉強食の無秩序が横行する中で、権威的であることが自己目的化したヘロルト自身が法と化していきます。

 もっとも、周りは彼が本当の将校でも、自らが主張するようにヒトラーの指令を受けた人物でもないことを薄々気付いています。「実情なんて自分で作り出すものだろ」とは、ヘロルトの部隊に加わる兵士の言葉です。しかし、彼の似非の権威は、逮捕を逃れたい脱走兵や、軍規を無視して脱走兵を処刑するための便利な方便として利用されます。

映画『ちいさな独裁者』より

 ヘロルトの部隊が辿りついた脱走兵収容所では、もはや戦力にならない兵隊を厄介払いしたい管理職がおり、「即決裁判」を主張するヘロルトの権威を借りて、彼らの超法規的な抹殺に手を貸します(これも史実です)。ただ、行き先を失ったヘロルトの部隊は、自己破滅へと追い込まれていきます。どの国や時代でも敗戦が濃厚になると、終末論的な雰囲気が蔓延し、人々が半狂乱になることは、歴史家ヴォルフガング・シヴェルブシュ『敗北の文化』(福本義憲、高本教之、白木和美訳、法政大学出版会、2007年)が描写するところです。権力が自己目的化してしまうと、崩壊を余儀なくされるものです。

『ちいさな独裁者』では、権威主義の心理的な側面と機能的な側面の両方が描かれています。日本でも「忖度」という言葉が流行っていますが、権威は皆が自分のことしか考えず、その役割を演じることによって、本物のものとなっていきます。そうした構造をこそ、アーレントは「悪」と呼んだのでした。これこそが独裁者を生み出す源でもあるのではないでしょうか。

著者情報

同志社大学教授

吉田徹

よしだ とおる

1975年生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。専門は比較政治学、ヨーロッパ政治。著書に『ミッテラン社会党の転換』(2008年、法政大学出版局)、『二大政党制批判論』(2009年、光文社新書)、『ポピュリズムを考える』(2011年、NHK出版)、『感情の政治学』(2014年、講談社)、『「野党」論』(2016年、ちくま新書)、『アフター・リベラル』(2020年、講談社現代新書)などがある。

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