ナショナリズム――戦争を生むのか、戦争で生まれるのか
吉田徹(同志社大学教授)
生きる意味を喪失した彼は、外地メキシコで酒と女の日々に浸ります。ベトナム戦争によって約7万5000人の兵士が障がいを負い、派遣された300万弱の兵士の2割弱がPTSDを発症したとされています。この地では彼と同じように、車イス生活を余儀なくされたり、精神トラブルを抱えたりした帰還兵の慰みの場所でした。そこで繰り広げられる、トム・クルーズと、やはり帰還兵役を演じるウィレム・デフォーとの取っ組み合いは本作品の見どころのひとつですが、ここに至ってロンは告白します。「俺は小さな町で育って親父とお袋がいた。迷うことなど何ひとつなかった。頼れるものがあった。全て失った。どうしたらいい?」と。
彼が見出したのは贖罪の道でした。それが誤射で殺してしまった兵士の家族に真実を告げて赦しを請い、そしてベトナム戦争反対を声高に主張することでした。「人々は言う。アメリカを愛さぬ奴は出ていけと。僕は愛している。僕はこの国を愛している」――自分の身体を傷つけ、戦闘の真実を国民に知らせず、デモを弾圧し、戦争の現実と社会との間に折り合いをつけようとしない時の政権に対して抗議の声を上げることです。この作品では紹介されていませんが、現実のロンは湾岸戦争やイラク戦争に反対の声を上げ続け、アメリカ反戦運動の象徴として活躍することになりました。この時、彼はようやく社会から認められたと感じたことでしょう。
もし国家が自分の信じるところと異なる方向に進み、しかもそのために数多くの犠牲者を生み出し、そこに虚偽や欺瞞が込められているとしたら、それを世に知らしめ、仲間をつくり、異なる方向へと導こうとすることもまた、ナショナリズムと呼ぶべきではないでしょうか。そして、これこそがナショナリズムと民主主義とが調和する瞬間でもあるのです。