『いのちの政治学 リーダ―は「コトバ」をもっている』刊行記念対談・ 危機の時代と「いのちの政治」~労りのコトバが聞けなかった国で
(構成・文/仲藤里美)
中島 また、今回の若松さんとの対談を重ねながら、常に私の念頭にあったのは内村鑑三の著書『代表的日本人』でした。この本が出版されたのは、日清戦争の始まった1894年。内村もまた危機の時代において、彼が代表的な日本人だと考える人物について歴史を遡行し、その生き方から学ぼうとしたわけです。
登場する人物は西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮。一見バラバラのように見えて、内村の世界観の中では統一性があった。この人たちから今、学ばなければならないという内村の思いがにじみ出ている本だと思います。それに比するとまで言うつもりはないですが、それに連なる本ができたら、と思ってつくったのが今回の『いのちの政治学』でした。
若松 中島さんは対談の最初からそうおっしゃっていましたね。『代表的日本人』は、私にとってもとても大事な本です。そして今回、自分が本をつくってみて分かったのは、内村が書いた人たちというのは、みな「徳によって生かされている人たち」でした。5人がどういう人間だったかということ以上に、さまざまな場面や時代において、徳がどう人間を用いるのかということこそを、内村は伝えたかったのではないかと感じました。
中島 根本にある人間観そのものの問題ですね。これも『いのちの政治学』の中で詳しくお話ししましたが、ヒンディー語に「与格」という文法があります。「私は」ではなく「私に」で始める構文なんですけれども、「人間には、私の意志に還元できない行為がある。それを表現する際に与格を使うんだ」と習いました。
具体的には、「私はあなたを愛している」なら、直訳すると「私にあなたへの愛がやってきて、とどまっている」という。あるいは「あなたはヒンディー語を話せるのか」と聞くときには「あなたにヒンディー語がやってきて、とどまっているのか」という聞き方をするんです。
では、そんなふうに「愛」や「ヒンディー語」がどこからかやってくるとしたら、その源泉は何なんだろうと考えると、やっぱり神とか死者、歴史といったものに行き着かざるを得ない。そしてこういう感覚は、現代の私たちに非常に必要なものだと思います。私たちは何をするときにも、「私は〜する」という主格で物事を考えがちだけれど、実はほとんどの行為は与格ではないか、ということです。
若松 行為だけではなく、立場もそうですね。「私は政治家である」と言うけれど、本当はそうではなくて、「政(まつりごと)の責務」というものがその人に宿っているにすぎない。だから、その人の器が、もし、ひび割れていれば、その責務は他の器に行ってしまうのは当然です。そうした「存在のありよう」というところまで遡って考え直さないとならないのではないでしょうか。
中島 さて、最後に一つだけ、イベント参加者の方からいただいた質問にお答えをして終わりにしたいと思います。
「社会やリーダーに求めすぎてしまうより、我々一人ひとりの人間の世界が重要であると学んできた気がします。その始め方について、お二人の実践やヒントがあればご教示いただきたい」
若松さん、いかがでしょうか?
若松 私は今回のコロナ危機におけるある時期から、たとえばニュージーランドのジャシンダ・アーダーン首相を自分のリーダーだと思うようにしていました。もちろん私は今、21世紀の日本で生きているわけですが、それ以外にも人間は、もう一つの不可視的な共同体のような存在を持ち得るんだと思うんですね。こう考えるのは、私がキリスト者だということとも関係あるのかもしれません。教会というのは、もともと国境を超えていく存在ですから。
2018年、ベルリンを訪れメルケル首相(当時)と握手するニュージーランドのアーダーン首相
自分たちが新しい価値観、世界観を生み出していこうとするとき、「この人をリーダーにしたい」と思う人がいても、地理的条件などによって選べないことがあります。それでも、精神的な意味においてであれば、選ぶことができる。そしてその「精神的に選んだ」リーダー──私にとってはアーダーンであり、メルケルなのですが──との対話が、私たちにとってとても大事だと思うのです。
そして重要なのは、たとえばアーダーンのいるニュージーランドと比較して「それなのに、我々の国は」と嘆くことではなく、その素晴らしいリーダーの仕事や言説を注視すること。それに自分がどう呼応し、自分の世界の中でどう実践できるかを考えること。国境にとらわれず、自分たちの哲学、あるいは思想を深めていくことが大切なのではないでしょうか。
中島 私は、日常からできることは今日も少しお話に出た「受け取る」ことだと思っています。自分が何に生かされているのかを考え、受け取る。そこから、利他の循環が始まっていくわけです。
ただ、「受け取る」ためには余白が必要なんですよね。それなのに、現代の私たちはあまりに忙しすぎて、余白がなくなってしまっていることが多い。だから、1日に数分でもいいので、ふいに訪れる何かを受け取る余地を自分の中につくっておけるよう心がけることが重要ではないかと思っています。常にやりたいこと、やらなくてはならないことでパンパンになってしまっていると、いろんなものが自分の中に入ってこなくなる。思いがけないことと出合ったときに、それが自分の中に入ってくるスペースを自分でつくっておくこと。そこから始めてみてはどうかと思うのです。
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『いのちの政治学 リーダ―は「コトバ」をもっている』刊行記念 中島岳志・ 若松英輔 オンライントークイベント「危機の時代と〈いのちの政治〉」【2021 年11月30日実施】を再構成しました。一部は映像でもご覧いただけます。