連載書籍化スペシャル 第2弾 俺たちは純文学に酔っている(ゲスト/古川真人)
古川さんが思う純文学の定義とは?
古川 本の話をすると、これを読むと「純文学って何?」って考えちゃうよね。小説家でなくても考えると思う。読んでいて、俺のなかでの純文学のひとつの定義が思いついたんだけど。
鴻池 何ですか?
古川 主人公がおよそフィクションの主人公らしくないやつが主人公になれるのが純文学かなと。うだつが上がらない、なんかグジグジ考えて煮え切らないやつとかね。または、ごく普通の会社員とか。なんなら職に就かずに家でゴロゴロ寝転んでいる主人公でもいいわけだ。これは、エンタメ小説や、アニメや漫画ではなかなかできないでしょう。この主人公の資格のなさは、純文学のひとつの特徴かなと。
鴻池 確かにね。周りと比較して、主人公に特殊な能力がないと普通はストーリーが進んでいかないからね。だから、漫画とかだと主人公がさえないやつだと、周りのキャラを立てたりするんだよね。
古川 そうでしょう。本当は主人公になり得ないキャラなのに、無理やり舞台に上げられちゃったやつみたいな。本人もなんでこんな役目を背負わされているんだと困惑している。純文学の作者は、そんなやつを動かせるところが面白味じゃないかな。やっぱり、漫画やドラマの主人公は才能とか、血筋とか、前世とかまで持ち出しながら、この人以外主人公はあり得ないことを説明する。あるいは、その背景がストーリーを動かす大事な要素になったりする。つまり、色んなものを背負っているやつが主人公ですよ。純文学の主人公はまったくそんなものを背負っていない。だから、ストーリーにさして起伏がなくてもいいんですよ。これが純文学の特徴じゃないかな。
鴻池 よくエンタメと純文学の違いのひとつとして、エンタメは読者のため、純文学はそこまで読者サービスをしなくてもいいジャンルとも言われるよね。でも、その読者サービスしなくてもよい作品の〝読者〟は一定数いるわけだよね。
古川 そう、だから我々も読者を無視しているわけではない。
鴻池 無視していないし、その数少ない読者を意識して作品を書くことも可能なわけですよ。完全に読者を無視して作品を書くことは可能なのかとすら俺は思うんだよ。
古川 SNSを見ていても、たとえばとてもマイナーな純文学作品を出す講談社文芸文庫を熱心に買っている若い人なんかもいるんだよね。あれ1冊2000円以上するよ(笑)。いまの若い人には、地味な主人公が出てきて、起伏のないストーリーが逆に刺激的なのかもしれないとも思った。
鴻池 そうだね。いまの若い人たちは、幼少期から起伏の激しい刺激的なストーリーに慣れ親しんでいるから純文学の地味さが逆に新鮮なのかも。
古川 それが新鮮で、純文学の新人賞に応募したりする人もいそうだね。
鴻池 古川くんの作品も、まさにストーリーに起伏がないし、主人公も派手なキャラクターとかではないわけじゃないですか。それは古川くんのなかで、起伏をなくさないと、純文学ではなくなるぞという意識があるの?
古川 それはないね。俺は純文学というより、近代文学に帰属意識がある。高校から大学にかけて熱心に読んだのも、近代文学だったからね。
鴻池 めちゃくちゃ詳しいよね。
古川 めちゃくちゃではないけど。ただ、逆に(村上)春樹や龍なんかは全然読んでない。
鴻池 俺はそういうチャラチャラした現代文学のほうが好きだったな。古川くんはもっと昔の近代文学とかを紹介して、純文学の魅力を伝える仕事とかもするといいと思うけど。
古川 いや、どうだろう。この本のゲストの川本直さんなんかとても詳しいですよね。
鴻池 すごいです。
古川 俺の場合、川本さんのように「変態でこんな面白いヤバい作家がいる!」みたいに紹介できないんだよ。
鴻池 どういうこと?
古川 俺が好きな小説は近代的自我に悩む青年が鬱々とするみたいな話だから、みんなにお薦めできない。「生きるって何だ?」と真剣に悩んで大学に入学しましたみたいな真面目な青年とかにしかウケないと思うんだよ。というのも、俺も、いまでこそこうやって、酒飲んでへべれけになっているわけだけど、元々はそういう青年だったわけ。自意識を文学の中にどう織り込ませようかと本気で悩んでたんだよね。
鴻池 それは大学生のころ?
古川 うん。わかりもしない難しい本を読んで、悩んでいたね。
鴻池 古川くん、正直でいいね。もっと飲んで!(ビールを古川さんのグラスに注ぐ)
