連載書籍化スペシャル 第2弾 俺たちは純文学に酔っている(ゲスト/古川真人)
純文学なんて大したことない!
鴻池 うだつの上がらないやつが主人公で、起伏のない物語が純文学の特徴だと古川くんがさっき言ったけど、それはその通りだとも思う。その一方で、純文学は別にエンタメ的な文章を採用しても構わなかったりする。ということは、純文学は文体とか形式で定義できるものではないんじゃないか。文章にポエジーがあるとか、美しい文章とかで純文学の定義をする人いるけど、本でも書いたけどむちゃくちゃ悪文の作品だってたくさんある。
古川 エンタメ作品の文章にポエジーがないということもないよね。
鴻池 そうそう。
古川 むしろ、エンタメの文章のほうがポエジーあるんじゃないか。
鴻池 きちんと分析しないからね。だから文章そのものではない。純文学はその文章、その小説をどういう目的でこしらえるかで決まるものだと思う。たとえば、エンタメの小説家だったら物語の起伏で読者を酔わせたいという目的がはっきりある。でも純文学の小説家はそういう明確な目的は持っていない。もっとそれより内的なもの、自分を取り戻す、自分自身で人生の舵を握るという言い方をしているんだけど……。
古川 この本のなかであなたは制約から離れたいと書いているけど、そのこと?
鴻池 そうです。ただ、制約から離れることは、それ自体が目的ではないんです。制約を離れることで内的権威を取り戻す。
古川 内的権威?
鴻池 うん。自分の内側にある権威。心理学の用語らしい。権威は自分の外側にあるじゃないですか。我々は基本的に、それにしたがって生きているわけだよね。たとえば、エンタメの作家だったら読者が権威かもしれない。あるいは、純文学の作家だったら文学賞の選考委員が権威かもしれない。でも純文学は本来は、自分の内側にある権威を取り戻すための作業なんじゃないかと。物事の価値判断の最終決定権のことです。その作業の結果、出来上がってしまった副産物が純文学の小説なんじゃないかと。僕がこの9人の小説家のみなさんと対話して気づいたことなんです。
古川 なるほどね。
鴻池 「純文学」自体を外的権威にしないために、「純文学って別に大したことないよね?」ってみなさんと話して確認したかったんだよね。
古川 そうね、まるで世の中の役に立つような、NHKの教養番組で取り上げられるような高尚なイメージが純文学にあるもんね。しかし、我々のやりたいことなんて、なんか自分の中にある嫌なものとか、ムカついたこととか、あるいは過去に読んだ小説を少し自分なりに書き換えてみたいとか小さい欲望で書いているところあるね。だから、全然、大きいことをしているわけではない。

鴻池 だってさ、選考委員とか外側の権威だけに向けて作品なんて発表できないでしょう。古川くん、芥川賞何度か落とされているじゃない。そのたびに選評とかで批判されたりしたでしょ?
古川 3回落ちたね。鴻池さんは選評の批判が気に食わなかったの?
鴻池 新人月評とかは気にしたけど、芥川賞の選評はそうでもなかったかな。落ちると思ってたし。まぁ、何が『国宝』だよ! とか思ったぐらい。
古川 恨んでるじゃないか(笑)。俺は芥川賞の選評をデビュー作の「縫わんばならん」で落ちた以降は1回も読んでない。
鴻池 あっ、そうなんだ。
古川 読まないほうが健康にいいっていうのがわかりました。
鴻池 そうだよね。
古川 色々、言われても同じテーマでしか書けない。もう開き直ったんだよ。周りがどうこう言おうが自分の書きたいもの、書けるものを書こうと思った。
鴻池 素晴らしいね。だからそんなに泰然としていられるわけだ。
古川 泰然というか、まあ逃げたとも言えるけどね……。
鴻池 まぁ、もっと飲んで。(日本酒を古川さんのグラスに注ぐ)
古川 (日本酒を飲みながら)はぁ~、しかし酔っぱらってきたね、我々。
鴻池 うん、めっちゃ酔っぱらってる。でも、酔って何が悪いんだって感じじゃない?
俺たちは10年間、純文学に酔っているんだよ。酔い続けてきたからこの世界にいられるんだよ。
古川 おお、あんた、いいこと言うね! その通り! ちょっと煙草吸ってきます。(千鳥足で店の外に)