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連載

第11回 この先、地球をどうしよう!?(後編)

川口好美(文芸批評家)

本稿の写真は、写真家の金川晋吾氏が本文テーマをイメージして選定しています

クマ出没注意!?

 みなさん、こんにちは。少し前に、秋田県のスーパーにクマが長時間居座った事件が話題になりました。もちろんクマは昔から山に生息していました。わざわざニュースになるのは、クマが人間の活動範囲に現れた時だけです。〝クマ出没〟にたいする反応は人それぞれで、暮らしている環境に大きく左右されるのではないでしょうか。大都市で暮らす人にとっては、好奇心がくすぐられる出来事かもしれませんが、近くに山や森のある地域に居住する人は、怖いと感じるかもしれませんね。
 ここ数年クマが頻繁に市街地に出没するのは、里山が衰退しているせいだ、という説明をよく耳にします。里山っていうのは、人間の集落の近くにある、生活に深く結びついた山林のことです。昔の暮らしは、里山の資源に支えられていたといっても大げさではありません。燃料にする薪も、様々な生活必需品の材料も、そこから得ていたのです。でも、生活スタイルががらりと変化し、山間部の人口が減ったために、里山はだんだん利用されなくなりました。かつて野生動物は、里山で人間の存在を感じ、警戒心を抱いていました。だから里山より先にはあまり進まなかったのです。里山が、野生動物と人間の対立をやわらげる〝緩衝地帯〟の役割を果たしていました。それがなくなりつつある現在、人間への警戒心を持たないクマがいきなり街に出てしまう事態が、たびたび発生しているのです。だから里山の回復が必要だ、というわけです。
 わたしは専門家ではありませんが、実感としてこの説明に納得できます。人間にとってもクマにとっても、こうした状態は幸福ではなく、お互い損をしていると感じます。ただし、わたしが気をつけたいと思うのは、クマに殺される人間の数より、人間に殺されるクマの数が、圧倒的に多いという事実です。力は、断然わたしたちの方が強いのです。クマと人間は対等にぶつかり合っているわけではありません。
 さらにもう一つ。里山の手入れはたしかに必要かもしれませんが、〝回復〟があくまで人間目線だということは、覚えておきたいポイントです。〈昔ながらの日本の暮らし〉。このことばから、みなさんはどんな風景を思いうかべますか? あたり一面に広がる水田。のどかに空を舞う鳥たち。樹木が生い茂る裏山。時おり聞こえてくる生き物の鳴き声……みたいな感じではないでしょうか。しかし、それは実態とは少し違うイメージだそうです。研究者の吉川賢さんはこう書いています。「稲作で人口の増加と都市化が起こったのち、18世紀までには全国の集落周辺の森林の多くが伐採されて、貧弱なはげ山とアカマツ林になってしまっていた。里山には強い負荷がかかり、人と森は激しいせめぎ合いの中に置かれたのだろう」※1 そして現在では、人間の手を離れた里山の自然は、かつてない勢いで広がり続けているそうです。
 野生動物にとってどんな環境が幸福なのかを考えるのも、大事でしょう。でも、もっと言えば、人間にそれを考える資格があるのかどうかを、じっくり問うべきかもしれません。

日本の近代化と環境破壊

 ヨーロッパの「宗教改革」がその後の世界に与えた影響について、前回お話ししましたね。キリスト教の中にプロテスタントという新しい宗派が登場し、人間はそれぞれがかけがえのない〝個人〟なんだ、という価値観が広がりました。自然にたいする態度も、それにつれて変化しました。やみくもに恐れるのではなく、研究し、利用するものとして、自然に向き合うようになっていったのです。その結果、産業のあり方が徐々に転換し、人権意識の高まりによって民主的な政治を求める声が大きくなり、ナショナリズムも生じ……と、かなりざっくりですが、このようにして〝近代化〟と呼ばれる現象が起こったのです。
 明治時代の日本は、外国と対等になるために、近代国家の仲間入りをしようとしました。いわゆる「文明開化」によって、人々の生活は激変しました。内村さんは、それを良い流れだととらえていました。〝日本の人々が、自然に宿る不思議な力をあがめるような古い信仰を脱け出すチャンスだ。キリスト教の教えにもなじみやすくなるだろうし、そこからやがて、自由や、個人の権利を大切にする社会が生まれるはずだ〟。そのように信じていたのでしょう。なので、はじめのうち、キリスト教の信仰と科学の発展を同時に追い求めることは、内村さんにとって不自然ではありませんでした。『代表的日本人』という本からは、それまでの日本人の考え方や働き方と近代化をつなげようとするねらいが、見て取れます。
 ただ、ヨーロッパと日本にははっきりした違いがありました。ヨーロッパは、一般市民も参加しながら長い時間をかけて近代化を達成しました。それにたいして日本の場合、政府が主導して、短期間で近代化を成しとげようとしたのです。変化があまりに急激だと色んなところに無理が出ますし、みんなが不安になってもめごとも増えそうですよね。でも明治政府は、話し合って解決方法をさぐるのではなく、天皇を中心に国民をまとめることと、戦争がもたらす興奮によって、切り抜けようとしたのです。
 ジャーナリストとしての内村さんの活動の柱が、「非戦」の主張と、足尾銅山鉱毒事件の追及でした。内村さんは、この二つの問題がつながっていること、そこに日本の近代化の矛盾があらわれていることを、見のがしませんでした。具体的に説明しますね。
 足尾銅山について書いた新聞記事で、内村さんは経営者である古河市兵衛の「拝金主義」を痛烈に批判しました。「拝金主義」とは、金銭を何よりも大事だと考え、執着することです。といっても、たんに古河市兵衛という個人の考え方を責め立てたわけではありません。
 田中正造が、足尾銅山の問題を国会で訴えた話を思い出してください。その時の農商務大臣が、陸奥宗光という有名政治家でした。陸奥は大臣として答える義務があったにもかかわらず、田中正造のことばをきちんと聞こうとしませんでした。さて、ここからが信じられないような話なのですが、その陸奥宗光の次男が、養子として古河市兵衛の家に入っていました。つまり親戚関係だったのです! 古河の有利な方向に物事が進むように陸奥が配慮するのは、当然ですよね。ちなみに陸奥宗光と古河市兵衛をつないだのは、陸奥のかつての上司だった渋沢栄一です。渋沢は、「日本資本主義の父」と称される経済界の大物で、莫大な数の銀行や会社の設立にかかわった人です。古河が足尾銅山を買収する際には、共同経営者に名を連ねていました。新デザインの一万円札に肖像が描かれているので、どんな人か確認してみてください。さらに1905(明治38)年、その養子が社長になるタイミングで、後に総理大臣になる原敬が副社長に就任しました。このように足尾銅山は、政界と経済界の両面から、がっちり守られていたのです。
 当時、政治家との結びつきを利用しながら様々な事業に手を伸ばし、会社の規模を拡大していたのは、古河や渋沢だけではありませんでした。彼らは「財閥」と呼ばれる集団を形成し、朝鮮半島にも進出しました。現地に支店を作って商売したのです。渋沢や三菱や大倉といった「財閥」は韓国に広大な土地を所有していました。つまり、戦争によるアジア侵出が、彼らの金もうけの後押しになっていたのです。※2
 たしかに明治時代の日本は、新しい技術を取り入れ、軍事力を高め、びっくりするようなスピードで、欧米と肩を並べる近代国家になりました。ですが、その内実は誇れるものではありませんでした。国の進路を決めていたのは、お金によってつながったごく少数の人々でした。

著者情報

文芸批評家

川口好美

かわぐち よしみ

1987年大阪生まれ。2016年、「不幸と共存──シモーヌ・ヴェイユ試論」(『群像』2016年12月号、第60回群像新人評論賞優秀作)でデビュー。2021年から、静岡県川根本町の小集落・沢間で「本とおもちゃ てんでんこ」を家族で営む。著書に『不幸と共存 魂的文芸批評』(法政大学出版局)がある。

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