第11回 この先、地球をどうしよう!?(後編)
川口好美(文芸批評家)

銅山事業で環境を破壊しておきながら、被害を受けた人々の声を真面目に聞こうとしなかったこと。他国の人々の人生を、植民地化によって踏みにじったこと。これらの問題の根っこに、国家や会社といった集団の利益のためなら〝個人〟は犠牲になってもしかたないという姿勢が、あったのではないでしょうか。内村さんが批判したのは、そのような国のあり方でした。こんな状態では、科学は悪用されるばかりで、日本人の生き方に良い影響を与えないだろう。内村さんはそう考えて、科学と道徳観がともに進歩するイメージを、捨てたのだと思います。※3
1911(明治44)年、内村さんはある集まりの中で、北欧のデンマークという国について語りました。
デンマークはもともと小さな国だったが、戦争に敗れて領地を奪われ、残ったのは荒れた土地ばかりだった。しかし、ねばり強く土地を整備し、木を植えた。自然環境が回復したことで、酪農や漁業、林業などが盛んになり、今ではとても豊かな国になった……。このような内容です。内村さんの脳裡には〝日本も、無理に工業国を目指さなくても、外国の領土を欲しがらなくても、自然と調和した豊かさを、おだやかに追い求めることができたはずなのに〟という後悔があったにちがいありません。また、そこには、国を奪われた朝鮮半島の人々を思いやる気持も込められていたのではないでしょうか。この講演の前年に、日本は韓国を併合していました。
講演は、その後『デンマルク国の話 信仰と樹木とを以て国を救ひし話』というタイトルで出版されました。この本の影響で、植樹活動を行った人もいたそうです。※4
社会を変えるには、まず自分が変わること
田中正造も内村さんと同じで、日本の近代化を批判し、戦争に反対しました。それで二人は意気投合したのですが、かかわりは徐々に薄くなりました。ケンカ別れしたわけではありませんが、考え方に少し違いがありました。
内村さんはよくこんなふうに言っていました。〝他人の悪いところを指摘する前に、まず自分自身を変えなければならない。自分には厳しくして、他人の欠点は寛大にゆるす。そうしなければ、社会は良い方向に向かっていかないよ〟って。※5 古河市兵衛を憎むのではなく愛さなければならない、とも語っています。※6 そして、そのためには『聖書』を読むことがなによりも大切だと説きました。田中正造はそんな内村さんに、『聖書』のことは一旦横に置いて、反対運動を盛り上げることが今は大事だと忠告しました。それにたいして、内村さんはつぎのように答えたのです。わたしなりにかみ砕いて書きますね。
〝渡良瀬川沿岸の地域に『聖書』が行き渡った時が、鉱毒問題が解決される時であるということを、わたしは信じて疑わない〟※7
別の文章では、こんなふうに語っています。
〝鉱山から流れて来る毒が、人々を苦しめている。でもじつは、鉱毒の奥にもっとひどい毒がある。それは、山から出る毒ではなく、人の心から湧き出る毒だ〟※8
もしも自分が渡良瀬川流域の住民だったとしたら、このことばを聞いてどんなふうに感じるか、想像してみてください。
被害を受けた人々にとっては、こんな考え方では遠回りな気がして、受け入れにくかったのではないでしょうか。相手の問題点をきちんと指摘し、あらためさせることが、解決への近道だと考えるのがふつうですよね。内村さんのような態度は、集団で主張を訴える政治運動にはあまり向いていません。日露戦争がはじまると、世の中から注目される活動は行わず、『聖書』の研究に没頭しました。〝人の良心を直接改良するのでなければ、社会の罪悪を拭い去ることはできない〟※9 この自分のことばを丁寧にかみしめる日々を、過ごしたのです。
〝自然は神が愛をこめて創り上げた、美しいものだ。自然界のあるべきすがたは、人間のあるべきすがたと同じで、争いではなく、おだやかな平和なんだ〟※10 内村さんと足尾銅山鉱毒事件のかかわりの根っこに、このような考えがありました。自然の見方として、キリスト教にくわしくなくても、親しみやすいですよね。でもある時から、この考えはひっくり返ります。1922(大正11)年の文章を、わたしなりに今のことばに移しかえましたので、読んでみてください。びっくりすると思います。
〝人は、自然の美しさを語る。でもその美しさは、表面だけのものだ。深く観察すれば、自然の本来のすがたは「美」ではなく「醜」だ。調和ではなく混乱だ。平和ではなく戦争だ〟※11
すごい変化でしょう。この変化には、第一次世界大戦という大事件が関係していそうですが、それは次回、別のテーマの中で考えましょう。とりあえず〝このままでは世界が終わってしまうのではないか〟という、深い危機感や絶望感がかかわっていたということだけ、覚えておいてください。
