俺たち「極地ブラザーズ」! 【対談】荻田泰永(北極冒険家)×村上祐資(極地建築家)
北極圏を何度も踏破し、さらに2018年には日本人として初めて、無補給単独徒歩による南極点到達をも成功させた冒険家、荻田泰永さん。
かたや、南極観測隊に参加した経験を持ち、地球の極地環境や火星(!)において、人間がどう暮らしうるのかを研究している極地建築家の村上祐資さん。
人が生きるのに最適だとは言いがたい最果ての場所、「極地」を主戦場にしているのはなぜなのか。極地で考えること、極地から見えてくることとは何なのか? 年齢が近くウマも合うという、自称「極地ブラザーズ」の対談です。

対談中の村上さん(左)、荻田さん(右)。(2018年11月22日、POLEWARDS、L-Breath主催)
つながりは「極地」
荻田 極地ブラザーズの兄貴分、荻田です。極地ブラザーズって、私と村上くんがラジオとかで名乗ってただけなんですけど。私は北極をメインに活動していて、村上くんは……。
村上 2008年から09年にかけて、第50次南極観測隊に越冬隊員として参加しました。その後は、エベレストのベースキャンプで登山隊の一員として暮らしてみたり、アメリカの「マーズ・ソサエティ」というNPOが主催する、疑似的な火星環境での居住実験に参加したりして、10年間でトータル1000日くらい極地生活を送っています。お互い「極地」にかかわりがあって、年齢も近くてたったの1歳違い。それじゃあ俺たち「極地ブラザーズ」だね、という話を、よくしていました。
荻田 自分は冒険家として、北極や南極をフィールドに活動しています。2000年からカナダ、北極海、グリーンランドなど、北極圏に15回行っていて、南極は1回。トータル1万キロぐらい歩いてきました。
17年11月には初めて南極に行き、無補給単独徒歩での南極点到達に挑戦しました。南極大陸の沿岸部から南極点まで、独りで、外部からの物資補給を受けず、そしてエンジンや犬の力に頼らず自分の体だけ、足だけを動力に歩き通すというチャレンジです。
この時は1126キロを50日間で歩きました。ゴールが年明け、18年1月5日。日本人として初めて南極点までの無補給単独徒歩に成功したので、結構大きくニュースになったようです。そんなことを長年やってます。
村上 私は荻田さんとは違って、冒険家ではありません。肩書の一つは「極地建築家」。居住に向かないような厳しい場所では、人がどんな住まいや設備を必要として、何を支えに暮らしていくんだろうか、そういうことを研究しています。荻田さんがアウトドアの達人だとしたら、私はスーパーインドア派。
まずは極地の代表格、南極で暮らしてみたくて、観測隊に参加。越冬隊員として昭和基地で15カ月過ごしました。
その経験があったので、荻田さんが南極に初チャレンジする時には、南極に近いプンタアレナスというチリの最南端の都市まで一緒にいったんですよね。南極はどうでしたか?

南極大陸。左上にはアメリカ大陸の南端が見える。
南極って、どんなところ?
荻田 南極大陸は、お椀を伏せたような形をしています。地表に降った雪が融けずに氷になって積み重なった状態で、内陸部中央、南極点付近の標高は2835メートル。海抜ゼロメートルの沿岸部から、富士山の7~8合目くらいの高さまで、1000キロ超の距離をソリを引っ張って登る。南極大陸にも、氷の下の地形によっては山脈や渓谷があるんだけど、17~18年のルートは、傾斜が急なところがたまにあるくらいで、基本はひたすら平ら、というか、そう見えてゆるーい登り。
記録映像も当たり前だけどオール自撮りです。遠くのほうにわざわざカメラを置きにいって、ソリまで戻って、カメラに向かって引っ張っていく。カメラを回収してまた向こうに置く、その繰り返しでした。
村上 11~1月の南極は真夏で、気温マイナス25度くらいですね。冬の南極内陸部は、マイナス70~80度で、時速300キロぐらいの風が吹き続けるような場所なので、とても人間が活動できる野外環境ではありません。
荻田 北極を冒険するときは、マイナス50度くらいまでは活動します。それに比べると、真夏の南極は、正直、「あったかい」ですね。
白夜なので日が沈まず、常に背中から日が差している状態でした。風が内陸部のてっぺんから絶えず吹き降ろしてくるから、いつでも強い向かい風がゴーゴーと鳴っている。空気は砂漠より乾燥しています。あまりに過酷な環境なので、沿岸を離れると生き物を見かけなくなります。そういうところを1日20キロ以上、50日間ひたすら歩き通しました。
南極点は「ふたつ」ある
荻田 スタートから49日目、遠くに光るお皿みたいなものが見えてきた。それは、南極点のすぐそばにあるアムンゼン・スコット基地というアメリカの観測所の天体望遠鏡でした。地形が平たんなうえ、望遠鏡がすごく大きいので、20キロ以上離れたところから視界に入ってくる。見えているのに、まだまだ遠い(笑)。ゴールは翌日になりました。
「南極点」は、実は2種類あるんです。ひとつは記念撮影用の「セレモニーポール」。各国の国旗に囲まれていて、写真映えするので「到達成功!」みたいな写真はだいたいそこで撮る(笑)。でも、これは正確な極点ではないんです。南極の氷の表層は年に数メートルずつ動いているので、氷に刺したポールも、やはり少しずつ正確な極点から離れていってしまう。そこで、地学上の正確な位置には「ジオグラフィック・ポール」というのを刺す。こちらはアムンゼン・スコット基地が毎年計測して刺しなおしているんです。セレモニーポールに比べればちょっと地味ですけども。


荻田さん、南極点に到達! セレモニーポール(上)とジオグラフィック・ポール(下)の前で。
南極で、コットン100%!?
村上 南極はあったかい、と言っていましたが、ウェアはどんなものですか?
荻田 薄手と少し厚めのアンダーウェアを1枚ずつと、中綿なしのアウター1枚。アウターには綿、つまりコットン100%の「ベンタイル」という素材を使っています。
アウトドアとか山登りの愛好家にとっては、綿のアウターなんて考えられないでしょう。雨にでも濡れたら命とりですよね。もっと軽くて暖かく、撥水、防水、汗や湿気を排出するための透湿機能のある新素材がいくらでもある。
ところが、極地では、むしろ最先端の防水透湿素材は使えないんです。なぜなら、マイナス20度を下回ると、防水や透湿などの機能が失われてしまうから。
100キロ近い荷物を載せたソリを引っ張って歩いていれば、気温が低くても汗だくになる。そんな状況で服の透湿機能がなくなってしまったら、湿気がまったく外に排出されず、ビニール袋をかぶっているのと変わらなくなります。
でも、綿なら汗を吸って、外に排出してくれる。濡れた生地は南極の陽光と風と乾燥ですぐに乾きます。だから汗が全部、塩の結晶になって、ウェアの背中や脇は真っ白になってしまった。でも、それは狙い通りでした。

荻田さんが南極で着用したウェアは意外なほど軽装に見える。背中は塩と化した汗で真っ白に。
荻田 極地では、体温調節という考え方が何よりも重要です。暑くなりすぎても、冷やしすぎてもいけない。「南極は寒い」と思い込んで……といっても寒いけど(笑)、だからといってひたすら着込めばいいというのは間違いです。
この時のウェアは、POLEWARDS(ポールワーズ)というブランドの職人さんと相談して、真夏の南極という環境を徹底的に想定してつくった一点もの。特に汗の管理は想定以上にうまくいって、よっしゃ、という気持ちでした。
村上 ポールワーズは、南極観測隊とも縁があるんですよね。昔は東洋羽毛工業という会社の一部門として、1950年代から南極越冬隊や日本のマナスル登山隊、エベレスト登山隊に羽毛のウェアなどを開発・提供していたという、日本で一番古いダウンのブランドです。当時は知りませんでしたが、私も越冬隊員としてポールワーズのウェアを着ていました。
荻田 南極越冬隊というと、たとえば、ひげもじゃの男たちが、狭い寒いところで肩を寄せ合って、冬を耐え忍び生き延びる……なんていう、映画『南極物語』的なイメージがあるけど、そんなのは初期のころだけですよね。昭和基地って、どんなところなの?
村上 昭和基地は、南極大陸から4キロほど離れた東オングル島というところに造られた観測所です。一つの大きな建物ではなくて、島のあちこちに50以上の建物が点在しています。
余談ですけど、昭和基地の骨材って、世界一高価かもしれないですよ。基地のあるあたりは2億年くらい前までスリランカとくっついていたところなので、周辺からはスリランカと同様に、ガーネットやルビー、サファイアなどを含む鉱物が多く見つかっています。基地の建物に使うコンクリートは、セメントに現地の砂利を混ぜて造成するんですけど、この砂利には特にガーネットがたくさん含まれています。いわば宝石入りのコンクリートです(笑)。

第50次南極観測隊のメンバーと、昭和基地の前で。前列左から3番目が村上さん。
著者情報
北極冒険家
荻田泰永
おぎた やすなが
1977年、神奈川県生まれ。カナダ北極圏やグリーンランド、北極海を中心に主に単独徒歩による冒険行を実施。2000年より17年までの18年間に15回の北極行を経験し、北極圏各地をおよそ10,000キロメートル移動してきた。世界有数の北極冒険キャリアを持ち、国内外のメディアからも注目される、日本唯一の「北極冒険家」。18年1月には、初めての南極で、無補給・単独・徒歩による南極点到達を成功させた。著書に『北極男』(講談社)。
極地建築家
村上祐資
むらかみ ゆうすけ
1978年、福岡県生まれ。南極やヒマラヤなど、極地とよばれる厳しい環境での人間らしい暮らし方を探すために、様々な極地の生活を踏査。2008年には南極観測隊に越冬隊員として参加し、昭和基地に15カ月滞在。アメリカのNPO団体「The Mars Society」が実施する長期の模擬火星実験「Mars160」では副隊長として、アメリカ・ユタ州のMDRS基地および北極圏デヴォン島のFMARS基地で計160日間の実験生活を完遂(17年)。18年のMDRS Crew191 TEAM ASIAでは隊長を務める。これまでに積み重ねてきた極地での生活経験は1000日を超える。特定非営利活動法人フィールドアシスタント代表。