オリンピック転落の歴史を振り返る ――「平和の祭典」が腐敗とビジネスに飲み込まれるまで
谷口源太郎(スポーツジャーナリスト)
この大会で実業家の集まりである組織委員会のトップに選ばれたのは、北米で第2位の旅行会社の経営者ピーター・ユベロスであった。ユベロスは、より多くの収益を確保することを目指して徹底したビジネスを展開し、結果として1億5000万ドルの黒字を生み出した。
ユベロスが展開したオリンピック・ビジネスの一つの柱は、米国内でのオリンピックに関するテレビ放送権の市場化。専門会社にオリンピック・テレビ放送の市場価値を調査させた結果、「3億ドル」という数字が出た。ユベロスは、その額で入札するよう3大ネットワークを中心に働きかけたが、あまりに巨額すぎることから、交渉は難航。結局、ABCが2億2500万ドル(さらに国際映像制作のスタジオ建設費7500万ドル)で契約した。ジャパンプール(NHKと民放の連合体、現在のジャパンコンソーシアム)は、放送権料として1650万ドルと、技術提供などのサービス料200万ドル、合計で1850万ドルを支払った。
さらにEBU(ヨーロッパ放送連合)は、1980万ドルで契約。これらすべてのテレビ放送権料収入は、総額2億8000万ドルに上った。
以後、放送権料総額の7割を支払った米国の巨大テレビ局は、巨費を投じる見返りとして競技スケジュールを番組中継に合わせるよう要求するなど、オリンピックへの影響力を強めていった。
もう一つの柱がスポンサー・ライセンス(商品化戦略)だ。
1960年以降、オリンピックに商品やサービスを提供する企業は増えてきてはいたものの、それらの企業からの協賛金の額は、大会運営費には遠く及ばなかった。そこでユベロスは、スポンサー収入を一気に増やすために、「1業種1社、合計30社に限定、1社400万ドル以上」というオフィシャル・スポンサーの厳選方式を編み出し、組織委員会は1億3000万ドルの収入を得た。
スポンサーとして、米国の大企業ばかりでなく、多くの日本企業も契約している。このとき、その日本企業の契約を一手に仕切ったのが電通だった。
ユベロスが展開するオリンピック・ビジネスにいち早く飛びついた電通は、組織委員会と日本企業のエージェント権(代理店となる権利)を独占契約した。そして日本企業(海外法人を含む)23社のオフィシャル・スポンサーおよびサプライヤー(物品提供)契約を実現し、電通の存在を世界に示した。以後、電通は、他社の追随を許さないほどのオリンピック・ビジネス独占体制を固めることになる。
IOCのビジネス
ロサンゼルス大会に続く1988年の第24回ソウル大会の最高責任者となったのは、キラニンの後任である第7代IOC会長ファン・アントニオ・サマランチ(スペイン)。
サマランチは、黒字を生んだロサンゼルス大会を称賛し、公然と「商業主義大歓迎」と言ってのけた。そして、サマランチは、オリンピック・ビジネス全権をIOCが独占することを狙った。
そのための具体策として、サマランチは国際的スポーツマーケティング企業、ISL(インターナショナル・スポーツ・アンド・レジャー)社と契約し、新たなオリンピック・ビジネスに乗り出した。同社は1982年に、アディダスのオーナーであるホルスト・ダスラーと電通の共同出資で設立されたものだ。
サマランチが乗り出したビジネスは、IOCが定めたオリンピックのシンボルマークや標語、オリンピック大会のエンブレム(シンボルマーク)マスコット、ロゴなどを商業利用する権利を売る、というもの。サマランチは、このビジネスを独占する権利をISL社に与えたのだ。
ISL社はソウル大会に向けて、世界的に名の通った多国籍企業などからの資金提供を受けるために国際マーケティングプログラム(TOP)を創出した。その結果、コカ・コーラ、コダック(印刷関連)、3M(化学・電気素材)、VISA(クレジットカード)など外国企業7社、日本企業から松下電器産業(現パナソニック)とブラザー工業(ミシン)の2社が契約した。
1987年にダスラーが病死し、ISL社が危機に陥るなか、サマランチはIOCが50%出資して新会社を設立。ISL社との契約を解除してオリンピック・ビジネスを直接手掛けることで、より多くの収入の確保を目指した。テレビ局やスポンサー企業の評価を得るために、大会はショーアップされていくとともに巨大化していった。そうして、莫大な収入を得るようになるのに伴って、IOC内に金権体質がまん延していった。
過去に何度も起きた大会開催地をめぐる招致合戦のなかでのIOC委員と立候補都市の間の贈収賄事件も、こうした金権体質と無縁ではない。
以上のように、東京オリンピック・パラリンピックで噴き出した腐敗は、モスクワ大会のボイコット問題やロサンゼルス大会の商業化というオリンピックの変質の果てに現れたものだ。

IOC会長を務めたロード・キラニン(第6代、中央左)とファン・アントニオ・サマランチ(第7代、中央右)。1980年、ロシア・モスクワにて
オリンピックの終わりの始まり
東京大会では、サマランチが敷いた路線の延長線上で、組織委員会はもとよりIOCも民間からの最大限の資金を集めるよう強く求められていた。それに応えられるのは、ロサンゼルス大会以来、オリンピック・ビジネスを独占してきた電通しかないということになる。組織委員会は全面的に電通に頼り、組織委員会内に電通の出向社員を中心にマーケティング局を設置したり、高橋元電通常務に理事のポストまで与えたりした。そうして日本企業68社から3761億円(組織委員会総収入の6割近く)が集められた。
開催に至る過程では、「国家ファースト」「マネーファースト」の企てが、森喜朗元首相(オリンピック組織委員会会長)の言う「オールジャパン体制」で推し進められ、これを批判したり、反対したりする者は「非国民」との非難を覚悟しなければならなかった。
こうして、かつて「平和な世界の建設」「国際親善」を掲げて始まった近代オリンピックは、今や国家主義と過度な市場経済化、勝利至上主義によって人間性を奪われ、腐食してしまった。その先にあるのは荒涼たるスポーツの世界だ。
もはや、オリンピックの「終わりの始まり」が始まっている。私たちは、もう一度、連帯や共同性といった人間性あふれる民衆が主役のスポーツ世界を目指さなければならない。
転換のヒントは1972年の答申の中に
著者情報
スポーツジャーナリスト
谷口源太郎
たにぐち げんたろう
1938年鳥取市に生まれる。早稲田大学中退。講談社、文芸春秋の週刊誌記者を経て、85年からフリーランスのスポーツジャーナリスト。新聞、雑誌、ラジオ・テレビを通じて、スポーツを社会的視点から捉えた批評を手掛ける。著書に『日の丸とオリンピック』(文芸春秋、1997年)、『スポーツ立国の虚像 スポーツを殺すもの』(花伝社、2009年)、『オリンピックの終わりの始まり』(コモンズ、2019年)など多数。