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連載

“越境人”のW杯、CONIFAワールドフットボールカップのその後

第9回

木村元彦(ノンフィクションライター、ビデオジャーナリスト)

 2018年7月。大阪のコリアンタウン、鶴橋で「東アジア市民社会研究会」と銘打たれた勉強会が催されていた。早稲田大学の文化構想学部の金敬黙(キム・ギョンムク)教授が、「『越境人』の概念的構築に向けて」というタイトルで報告を行う。金教授は、これまで、「在日コリアンは国民国家の枠組みに翻弄されてきた」としたうえで、それを飛び越え、境界を軽やかに往還する存在としての“ekkyojin”(越境人)の学術的な概念構築を果たそうとしていた。ディスカッションになり、しばしの議論が落ち着くと、彼は「CONIFA(コニファ)こそ、越境人的な視点に立った枠組みだと思います」と漏らした。
 このような研究を続けている学究者が、CONIFAを認識しているという事実が、私を嬉しくさせた。その存在を「韓国の新聞によって知った」と聞けたことも望外の喜びであった。予算規模はまだまだ小さいCONIFAだが、国際的な認知が進んできた証左と言えよう。

CONIFAとは?

 CONIFAについてはすでにいろいろな媒体で書いてきたが、あらためて説明をしたい。
 CONIFA(Confederation of independent football associations)は、FIFA(国際サッカー連盟)に加盟できない、あるいはしようとしない地域や民族のサッカー協会が集った国際競技団体で、「独立サッカー連盟」と翻訳される。FIFAは国籍よりもパスポートを重んじる主義であるので、ワールドカップなどの国別対抗戦に出場する代表チームはすなわち、常に「有効な旅券を発行できる国家という枠組みにおける代表」であることを意味する。しかし、世界には固有の領土を持たない民族や、弾圧によって国を追われた人々、あるいは居住する国と自身のアイデンティティーが必ずしもシンクロしない少数民族や先住民族がいる。そんな人々のためにもサッカーをする機会を提供しようと、2013年に組織されたのがCONIFAである。
 CONIFAは「ワールドフットボールカップ」という世界大会を2年に1度開催しており、それはまさに現存する国家という枠組みを超えた「越境人」的なトーナメントである。
 第1回は2014年、CONIFA創設者のペール‐アンデルシュ・ブリンド会長の地元、スウェーデンのウステルシュンドで行われた。ブリンドは北欧の先住民族サーミ人であり、ウステルシュンドはサーミの土地(ラップランド)の一部である。第2回(2016年)の開催地は、旧ソ連のジョージアから独立宣言するも国際社会には認められず、孤立を余儀なくされているアブハジアであった。アブハジアにもサッカー選手はいるが、ロシアを含む4カ国からしか国家承認されていないためFIFAに加盟できず、国内クラブは実質的に将来が閉ざされていた。CONIFAはそこにスポットを当てたわけである。

第3回ロンドン大会

 そして3回目は今年(18年)5~6月にサッカーの母国イングランドのロンドンで行われた。ホストとなったのは、ソマリア内戦によって難民となり、ソマリア南部の港町バラワからロンドンに逃れてきた人々によって作られたバラワサッカー協会であった。
 世界中から16チームが集って行われた第3回ロンドン大会の結果を簡単に記すと、決勝戦は、キプロス島北部の未承認国家である北キプロスの代表と、ウクライナ西部に居住するハンガリー人のコミュニティー、カルパタリアの代表チームとで行われた。余談だが、カルパタリアしかり、ルーマニアのハンガリー人代表チームであるセーケルランドしかり、CONIFAにヨーロッパから参加しているチームを見ていると、かつてのハンガリー王国の勢力地図が、現在も色濃く反映されていることにあらためて気づかされる。
 決勝戦は90分で決着がつかずにPK戦となった。実はワールドフットボールカップのファイナルは、3大会連続でPK戦にもつれこんでいる。参加することに大きな意義があると言われるCONIFAでも、順位が決定づけられる大会最終戦までくるとやはり結果にこだわって、リスクを冒さずに膠着するのである。最後は初出場のカルパタリアが制した。

CONIFAの代表選手の資格とは?

 まがりなりにも世界大会を3度開催したという実績。そして、代表チームを出していない韓国の新聞にも紹介されるという認知度の向上を踏まえ、「越境人のW杯」、CONIFAワールドフットボールカップの現状と課題を考えてみたい。
 16チームを4チームずつに分けて行われたグループリーグの3試合すべてを消化したときに「事件」は起きた。会期中初めてのオフの日に、急遽全チームのマネージャーを集めミーティングが行われるという連絡が入り、宿舎の会議室に招集がかかった。私の立場はあくまでも取材者であったが、チームに帯同していたこともあり同席が許された。またそれだけオープンな運営がなされているのだ。
 議題は、大会ホストのバラワが、3戦目となったエラン・バニン(イギリス王室領マン島のチーム)との試合で出場させた選手についてであった。ムハンメドというその選手は格の違ったスーパープレーを連発してゴールを決めた。ところが、彼の国籍はリビアで、なおかつ規定の選手登録期間には名前が提出されていなかったことが発覚した。エラン・バニンはこれを問題視してCONIFA事務局に提議に及んだというわけである。
 先述したようにCONIFAは国籍主義もパスポート主義も掲げていないので、リビア国籍自体に問題はない。だが、果たして本当にバラワと関係のある選手であったかどうか。ただの助っ人ではないのか? ことはアイデンティティーに関する問題であるので、非常に線引きが難しい。例えばエラン・バニンは自チームの選手の定義を「現在はどこに住んでいてもどんな言語を話していてもいいが、とにかくルーツはマン島であること」として招集をかけている。
 バラワ代表とスカイプ電話でつながったモニターを中央において、喧々囂々の議論が展開されていった。
 北キプロスが「バラワの友人よ、ムハンメドが三代遡ってソマリア人の血を引くものだと証明できるか?」と問うと、横から西アルメニアの代表が「いや、そういう問題ではないだろう。血にこだわる気持ちは分かるが、CONIFAに加盟している我々は、そういう形でチームを組んではいない」と諌めた。
 CONIFAのチーム同士の連帯は、明確に国家単位を超え、互いの信頼関係を基に成立しているので、それが崩壊すると運営そのものにヒビが入る危険性がある。「血」という意味ではダブルやクオーターであろうとも、本人のアイデンティティーがそのチームにあれば認めてきた経緯がある。しかし、血統主義に陥ってしまうと、新たなヒエラルキーが生まれて別の民族主義が勃興し、違った形での差別が始まる。それは決して本意ではないのだ。

制度の整備が次の課題に

 ムハンメドのルーツはひとまず信頼するとして、次の問題は登録期間が終了していたこと。しかも1試合目には間に合わず、2試合目以降にこのような力のある選手を出してきたのでは、エラン・バニンが抗議したくなる気持ちも理解できる。再戦をする余裕はないので、試合自体が有効か無効か、シロクロつけるために紛糾した。話し合いは時間切れになり、夜に改めて、今度は市内観光に出かけてしまっていたチベット代表も交えて結論を出すこととなった。
 選手登録については構造的な問題が元々あった。CONIFAに参加登録するのは、チベット代表やタミール・イーラム(スリランカを中心に、各国に住むタミール人のチーム)など、政治的な問題を抱えているチームが多い。それ故に開催国のビザが発給されるかどうかが不確定で、登録期限を守る、守れる協会自体が少ないのだ。指定された期日を守ったのは、在日コリアンのチームであるUKJ(United Koreans in Japan)を含む数チームしかなかったが、期限が守れなくとも不可抗力として大目に見られていた。
 夜半に行われた再会議では、多数決の結果、バラワ対エラン・バニンは有効試合とされた。ホストチームへの忖度があったかもしれないが、試合開始のホイッスルを吹いた段階でCONIFA側の責任となり、それについては事務局からの謝罪がなされた。
 エラン・バニンはこの採決を不服として帰国してしまった。いずれにしても登録期限に関してはビザの問題を含めて今後の課題となった。

政治的な圧力から無縁ではいられない

 また、選手や協会に対するセキュリティの問題も持ち上がってきた。アルジェリアの少数民族、カビリアは今回、代表チームをロンドンへ送ろうとしたが、出場を聞きつけたアルジェリア警察による挑発や弾圧が行われ、加えて政府が選手数人に対して出国を許可しなかったこともあり、ベストメンバーをそろえることができなかった。在イギリスのカビリア人を集めての急造チームでは良い結果を望むべくもなかった。
 大会終了後も大きな波紋が起こった。優勝したカルパタリアの選手がウクライナサッカー協会の怒りを買って、同協会からの登録を外されたのである。同時期にはカルパタリアサッカー協会への会計査察も入ったというので、これは明らかにウクライナ政府による嫌がらせであろう。
 これらはCONIFAの課題というよりも各国が抱える内政問題によって生じる障害であるが、CONIFAが常に政治に左右されない運営をテーマに掲げている以上、無視していくわけにはいかない。

世界へのショーウインドウとしてのワールドフットボールカップ 

著者情報

ノンフィクションライター、ビデオジャーナリスト

木村元彦

きむら ゆきひこ

1962年、愛知県生まれ。中央大学卒業。東欧やアジアを中心に、スポーツ文化や民族問題などの取材、執筆活動を続ける。著書に『誇り』(98年、東京新聞出版局)、『悪者見参』(2000年、集英社)、『終わらぬ「民族浄化」セルビア・モンテネグロ』(05年、集英社新書)、『蹴る群れ』(07年、講談社)、『社長・溝畑宏の天国と地獄』(10年、集英社)、『争うは本意ならねど』(11年、集英社インターナショナル)、『徳は孤ならず』(16年、集英社)、『橋を架ける者たち』(16年、集英社新書)、『無冠、されど至強』(17年、ころから)、『コソボ 苦闘する親米国家 ユーゴサッカー最後の代表チームと臓器密売の現場を追う』(23年、集英社インターナショナル)など多数。『オシムの言葉』(05年、集英社インターナショナル)で第16回ミズノ・スポーツライター賞を受賞。

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