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連載

李哲にとっての“復讐”

第10回

木村元彦(ノンフィクションライター、ビデオジャーナリスト)

 韓国民主化闘争の歴史を描いた映画『1987、ある闘いの真実』がヒットを飛ばしている。1948年の政府樹立以来、李承晩(イ・スンマン)朴正熙(パク・チョンヒ)全斗煥(チョン・ドファン)と、連綿と独裁政権が続いた韓国では、多くの犠牲者を出しながらも民衆が自力で民主主義を克ちとっていった。
 87年の民主化から30年以上が経っても、民衆の力は健在だ。近年では、一時は報道機関に対する圧力などで巨大な権力を手中に収め、磐石かに見えた朴槿恵(パク・クネ)大統領でさえ、2016年から始まった圧倒的な規模のキャンドルデモで退陣に追い込まれていった。
 一方で独裁政権下における民主化闘争に多くの在日コリアンが身を挺して関わっていたことは、韓国でも日本でもほとんど知られていない。真の韓国人になろうという夢を持って渡った祖国で、スパイ容疑で逮捕され、死刑宣告を受けながらも生還し、赦しの精神を今でも持ち続けている人物の声をここに聞く。

元死刑囚、李哲という人

 待ち合わせの大阪・桃谷駅に着いた。約束の時間よりも10分早かったが、背筋を伸ばし手にした文庫本に視線を落としている李哲(イ・チョル)の姿が見えた。凛とした横顔で改札口に佇む出で立ちは、とても今年(18年)10月に古希を迎えるとは思えない。
 李哲は今年8月15日、光復節にソウル市西大門(ソデムン)で行われた独立民主の祭典に出席していた。それは西大門区の文錫珍(ムン・ソクチン)区長が2010年の区長選挙で公約に掲げて実現させた独自の行事で、かつて祖国のために独立運動、民主化運動を命がけで闘った学生、市民、あるいはその遺族の約100名が招待されて集う貴重な祭典である。
 なぜ、西大門区がこの祭典を行うのか。理由は明解で、この地にはかつて1908年に京城監獄として建設され、その後、西大門刑務所ソウル刑務所ソウル拘置所と名を変えながら、独立運動家、民主化運動家を収容、弾圧、拷問、処刑した刑務所があったからである。独裁に抗う者だけではなく、まったく抵抗の意志すらなかった者まで拘束してきたこの刑務所跡は、現在、抵抗と弾圧の事実を伝え遺すために、「西大門刑務所歴史館」として生まれ変わっている。行政区長がこの祭典を実行するのは、韓国政府が不当な政治弾圧をしてきた歴史を修正・忘却せずに、常に向き合うという覚悟の表明とも言えよう。
 李哲は在日コリアンの政治犯として毎年、この祭典に招かれている。

 

在日コリアン留学生が見た悪夢

 熊本県に在日二世として生まれ、人吉高校を卒業後、東京の中央大学で学んだ李哲は1973年、韓国の高麗大学大学院に留学する。当時のことをこう語る。
「自分のアイデンティティーを探しに、本当の韓国人になりたくて韓国に行ったのです。韓国で民主化運動に関わっている学生の間に溶け込み、彼らと志を共有する、そういう中で、『私は新しい韓国人に生まれ変わるのだ』、そう決意していました」
 日本社会において、現在とは比較にならぬほど在日コリアンへの差別が厳しかった時代である。李哲のように、自身のルーツである韓国で韓国人として“生まれなおす”ために、あるいは、勉学を諦めなくてはならなかった親たち一世の期待を実現させるために、海を渡った在日コリアンの青年たちは少なくなかった。
 しかし、切なる思いでやってきた祖国は軍事独裁の朴正煕政権下(61~79年)にあった。軍政は「北朝鮮からの工作員が紛れ込んで破壊・諜報活動をしている」といった脅威を喧伝して社会不安を煽り、民主化活動を抑え込んでいた。
 軍事政権にとって、社会主義や共産主義を掲げる政党のある、いわば“容共”(共産主義を受容している)の国、日本から来た在日コリアン留学生は、格好のスケープゴートだった。当時の陸軍保安司令部韓国中央情報部(KCIA)は、競うように在日の留学生を尾行してはスパイ容疑をでっち上げて検挙していた。71年には京都出身の徐勝、徐俊植の兄弟が陸軍保安司令部に拘束されて、獄中で拷問を受けて転向を迫られるという事件が起き、75年には在日の留学生20名が逮捕された(学園浸透スパイ団事件)。

突然の逮捕から西大門刑務所へ

 75年12月11日、それは李哲の身に突然降りかかる。下宿に私服の情報部員がいきなり押し入って来た。彼らは有無を言わさず李哲を逮捕すると、ソウル市内の南山(ナムサン)にあるKCIA本部に連れていった。弾圧の場として悪名高い南山の地下取調室で李哲は、40日間にわたって凄惨な拷問を受けた。樫の木の棒が折れるまで殴られ、蹴り上げられ、更には耳を覆いたくなる脅迫で精神的に追い詰められた。李哲には年が明けたら挙式をする予定だった婚約者がいた。取調官はそのことも知っていた。「お前が自白しなければ、お前の婚約者とその母親をここに連行して凌辱・拷問する。おれたちはそんなことは造作もなくできる」
 自白しろというのは、北朝鮮と通じたスパイ活動をしていたことを認めろということである。体力と精神力の限界まで追い詰められ、フラフラになった李哲は、一度も行ったことのない北朝鮮に「二回行きました」という陳述書にサインをさせられてしまった。行ったどころか、北朝鮮に関して何の知識もない李哲の前に、KCIAはわざわざ文献を持ってきてそれを模写させた。完全なスパイ事件の捏造である。
 連行から40日間が過ぎて、李哲は南山からソウル拘置所、すなわちかつての西大門刑務所に移送された。
 囚人番号を付けられ、以後は名前で呼ばれることはなくなった。李哲はこの独房で、「天使」に会ったという。ある日、一人の窃盗犯が、独房の中にこっそり聖書を投げ込んでくれたのだ。
「彼は、私が連日、本も読めないで、独房の中で縮こまっていると知っていたのでしょう。第一審が終わるまでの約10カ月間は面会も本の差し入れも禁止されていて、私は活字に飢えていました。何が辛いって、昨日まで本を読んでいた人間が活字を取り上げられたら、本当にいらいらする。なんでもいいから読みたくなるんです。独房の扉の裏側に、国民教育憲章が貼ってあった。朴正熙がつくった、教育勅語の韓国版です。でも周りに活字がそれしかないんですよ。僕らを痛めつけた独裁者の文書なんて、内容的には絶対に覚えたくない。でもその前を通るときには目に焼きつけて、次は何だったかな、と暗唱したりしたものです。それだけ文字に飢えていた。窃盗犯の彼はそんな私を見かねて、かわいそうに思ったんでしょうね」
 もらった聖書は、看守に見つからないように隠しながら、隅から隅まで読んだ。
「そこで、私が韓国に来てやりたかったことを、2000年前にやった人がいたんだと知りました。イエス・キリストは、抑圧された民衆の解放のために身を投じた。その当時の権力に逆らったために、彼は処刑された。まったく自分と一緒だと感じて、それ以降、キリストのことを、ヒョンニム(兄貴)と思うようになったんです。それが私の生き方に大きなプラスになり、物事を判断する物差しにもなり、私の心を慰めてくれるものにもなりました。私に聖書と信仰をくれた窃盗犯は、名前もわかりませんが、私は彼を、神様が遣わした天使だと思っています」
 氷点下の続くソウルの1月である。暖房など望むべくもない凍てつく独房の中で、李哲の心に聖書は光と熱を与えてくれた。キリスト教との出会いは、その後も長く続く服役期間を耐える原動力となった。

恐怖を克服し、無罪を主張するが…

著者情報

ノンフィクションライター、ビデオジャーナリスト

木村元彦

きむら ゆきひこ

1962年、愛知県生まれ。中央大学卒業。東欧やアジアを中心に、スポーツ文化や民族問題などの取材、執筆活動を続ける。著書に『誇り』(98年、東京新聞出版局)、『悪者見参』(2000年、集英社)、『終わらぬ「民族浄化」セルビア・モンテネグロ』(05年、集英社新書)、『蹴る群れ』(07年、講談社)、『社長・溝畑宏の天国と地獄』(10年、集英社)、『争うは本意ならねど』(11年、集英社インターナショナル)、『徳は孤ならず』(16年、集英社)、『橋を架ける者たち』(16年、集英社新書)、『無冠、されど至強』(17年、ころから)、『コソボ 苦闘する親米国家 ユーゴサッカー最後の代表チームと臓器密売の現場を追う』(23年、集英社インターナショナル)など多数。『オシムの言葉』(05年、集英社インターナショナル)で第16回ミズノ・スポーツライター賞を受賞。

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