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連載

クーデターを境に変わること、変わらないこと~ミャンマーの今を問う

第22回

木村元彦(ノンフィクションライター、ビデオジャーナリスト)

 アウンミャッウインは、注文された大量のテイクアウト料理をカウンターに並べ、箱に詰めると次々に客に渡した。「はい、お待ちどうさま!」モヒンガー、ラペットゥ、グリーンカレー、タミンジョー……、もとより、料理の腕は折り紙付きだ。空腹には刺激的な香りが鼻孔をくすぐる。ミャンマー人の難民認定者である彼がこの大阪のエスニック料理店「ミャンマービレッジ」のオーナーシェフになる経緯と、その壮絶な半生は連載第20回に書いた。
 ミャンマーで軍事クーデターが起きてから、3カ月。ロヒンギャ(ミャンマー西部ラカイン州在住のムスリム)へのヘイトに加担せず、それでいて一方的な国民民主連盟(NLD)批判、アウンサンスーチー批判にも与しなかった活動家でもある彼に、ミャンマー情勢を聞くことにした。店が暇になる時間を聞いて足を運ぶと、店主はコロナ禍のランチタイムでひと仕事を終えて店の休憩に入り、ようやくテーブルにつく。手製のパーテーションを間に挟んで語り出した。

アウンミャッウインさん。3本指を立てるポーズはミャンマーやタイで民主化を求める市民たちに広まった抵抗のサイン

深刻な「ロヒンギャヘイト」による弊害

「えらい長い間、営業妨害に遭うてましたけど、ようやくそれも終わりそうですわ」

 ――それはやはり、ロヒンギャ関係の発言が原因ですか?

「そうです。今までビルマ民族を含むミャンマーのすべての民族が、『ロヒンギャが軍に殺されているなんちゅうのはでたらめや。国軍がそんなことやるわけがない』と信じ切っていた。また自分たちもそう発信していました。でも私は『ロヒンギャは殺害されている。人権侵害されているんや』とずっと言ってきました。その結果、多くのビルマ民族の人々からのバッシングを受けました。『アウンミャッウインという奴はビルマ民族とか言うとるけど、あれはほんまはロヒンギャや』とか、『この店もバングラデシュのテロリストからカネをもらって経営しとるから、絶対に行ってはいけない』とか、散々言われました。日本のミャンマーコミュニティの中ではまるで札付きの悪者のような扱いを受けてきましたよ。ホンマに商売上がったりでしたわ」

 ミャンマーにおけるロヒンギャヘイトは極めて深刻であった。1988年の民主化闘争をロヒンギャと共に闘い、日本に逃れてきたいわゆる「8888世代」といわれるミャンマー難民たちも、「ロヒンギャは違法移民。仏教徒の女性をレイプしている」「国軍や警察から、ロヒンギャが迫害を受けているというのはデマ」と言って、ロヒンギャ差別を温存、拡散してきた。東京のミャンマーレストランなどでは、残念ながら、客として来た日本人がそれを鵜呑みにしているという現象が散見されている。

デモ隊への銃撃がすべてを変えた

 ――それが変わってきたのは今年の軍事クーデターの直後からですか。

「2月1日がクーデターでしたね。それからミャンマー各地で市民による抗議のデモが巻き起こりました。でも相変わらず、うちの店は閑古鳥がピーピー鳴いていました。『不法入国の不法滞在者の店だから行くな!』と叩かれ続けていました。軍事クーデターが起きたあとも、他のミャンマー人たちのロヒンギャに対する意識はすぐには変わっていませんでした。なぜかと言うと、2月初旬には国軍はまだデモ隊を銃撃していないんです」

 ――ミャンマーの人々は、国軍に抗議し、スーチーを支持しているけれど、国軍が長年迫害してきたロヒンギャについては、違法移民、イスラム教徒のテロリストだという認識は変わっていなかったんですね。

「軍に撃たれるまで彼らの意識は変わっていないんです。でも、間もなく民間人に対する銃撃と虐殺が始まりました。今までラカイン州でロヒンギャが殺害されていたのと同じように、ヤンゴン、マンダレーなどの大都市をはじめ、いろんな街中で悲劇が起こった。目の前で起きたことで彼らはようやく気がついた。『まずい、これはロヒンギャが国軍からやられていたと言っていたこと、その通りやんか。自分たちは今までロヒンギャの迫害をフェイクニュースと思ってたけど、違ったんや』。ロヒンギャより危険なのはミャンマー国軍であるということに彼らは気づいた。『国軍を倒さないといけない。そのためにはどうしたら良いのか』と、彼らは意識が変わってきたんです」

 ――丸腰の市民に発砲をためらわないというミャンマー国軍の本質がついに剥き出しになったことで、マジョリティであるビルマ民族を筆頭に、ミャンマー国民もこれからはロヒンギャに対する無理解を謝罪して、民主化勢力として一致団結しようという動きが出てきています。

「ミャンマー国内で言えば、まずヤンゴンの第一医科大学学生連盟ですね。3月26日にロヒンギャに向けての『謝罪文』を発表しました。『国軍が民族浄化や掃討作戦を行ったことで、ロヒンギャの命が犠牲となり、避難を強いられた。私たちはその行為を黙認し、結果として民族浄化に加担することとなった。私たちはそれが過ちであったことを認め、謝罪する』というもの。これからはあらゆる民族の声に耳を傾け、正義のもと、闘い抜く覚悟であると彼らは宣言しました。ようやく変わってきた。うちの店のお客さんも戻ってきましたわ」

ロヒンギャへの迫害を認めなければならない

 ――店長は、軍事クーデター後に大阪から国民統一政府(NUG)に向けてアクションを起こしたそうですね。

「ええ、1990年の総選挙の時にミャンマー全労働組合の支持を受けて当選したNLDの議員で、ラ・ウーという人物がいるんです。その人と私は強い信頼関係があるので、彼を介してNUGに、『民主化を望む国内外のミャンマー市民は、ロヒンギャと協力して国軍による独裁政権を倒すべきだ』というメッセージを送りました。そのために私たちがまずやらなあかんことは、自国によるロヒンギャの殺害、大虐殺を事実として認めること。ミャンマーではロヒンギャのことはフェイクニュースとして流布しとるわけやからね。事実を認めることから始めないと私たちは連帯できない。でも、なかなか私の話は通じなかった。NLDの政治家たちからすれば、ロヒンギャ迫害を認めなかったスーチーさんをも否定することになるわけですから。けど、私は伝えました。『それは別の問題です。スーチーは国家顧問といっても、実権上はただの外務大臣にすぎず、直接的な責任はない』と。虐殺の犯人は、ミャンマー国憲法を読んでみれば明確です。国軍に命令を下すことができるのは1人だけ。それはミャンマー国軍の最高司令官です」

 ――現在の最高司令官は、かつて差別煽動のコメントが酷くてツイッターやフェイスブックのアカウントが凍結されたミン・アウン・フライン将軍ですね。ただ、スーチーは2019年、オランダ、ハーグのICJ(国際司法裁判所)の法廷においてロヒンギャに対するジェノサイドを否定しました。彼女もこういう罪は背負わないといけないのではないですか。

「それはわかります。スーチーさんの発言は事実とは違いますから、ロヒンギャの人たちの失望は大きかった。この証言が裁判にどのような影響を与えたかは考えないといけません。
 ただ、スーチーさん自身が虐殺指令を出したわけではない。スーチーさんには、これを機会に歴史修正に加担したことを謝罪して、真実に向き合って欲しいと、私ははっきりNUGに伝えました」

 ――さらに言うと、日本外交も同様です。国軍とのパイプを大事にしないとミャンマー政府は中国との親和性を強化するという理屈をかざして、ロヒンギャの虐殺を看過してきました。要は国軍べったりで、ジェノサイドに対して他国が経済制裁をしても、ミャンマーへの莫大な投資を継続していた。米国やヨーロッパ諸国が賛成していた国連第三委員会の迫害非難決議も棄権しています。

「特に丸山市郎駐ミャンマー日本大使は、ロヒンギャの虐殺には軍隊の関与がなかったとか、ロヒンギャは『ベンガル人』やとか、酷いことを公言していました。まだ『これらの事を軍が主張しています』と、第三者が伝え聞いた形で言うのなら、わかります。ところがや、日本の大使が国軍の広報官になってもうた」

 アウンミャッウインは、ここでお茶を一口飲むと、ため息を漏らした。

著者情報

ノンフィクションライター、ビデオジャーナリスト

木村元彦

きむら ゆきひこ

1962年、愛知県生まれ。中央大学卒業。東欧やアジアを中心に、スポーツ文化や民族問題などの取材、執筆活動を続ける。著書に『誇り』(98年、東京新聞出版局)、『悪者見参』(2000年、集英社)、『終わらぬ「民族浄化」セルビア・モンテネグロ』(05年、集英社新書)、『蹴る群れ』(07年、講談社)、『社長・溝畑宏の天国と地獄』(10年、集英社)、『争うは本意ならねど』(11年、集英社インターナショナル)、『徳は孤ならず』(16年、集英社)、『橋を架ける者たち』(16年、集英社新書)、『無冠、されど至強』(17年、ころから)、『コソボ 苦闘する親米国家 ユーゴサッカー最後の代表チームと臓器密売の現場を追う』(23年、集英社インターナショナル)など多数。『オシムの言葉』(05年、集英社インターナショナル)で第16回ミズノ・スポーツライター賞を受賞。

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