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連載

クーデターを境に変わること、変わらないこと~ミャンマーの今を問う

第22回

木村元彦(ノンフィクションライター、ビデオジャーナリスト)

「外交官なら、彼が言うべき言葉は、『虐殺があったかどうかは私が言うことではなくて、国際裁判所が判断することです。国際社会や国連が見ている中で、裁判で出された判決に、ミャンマー人たちがどういうふうに向き合うかが重要です』、そういうふうに言わなければあかんのを、自分がミャンマー国軍の一員みたいに、見てきたように虐殺関与の事実を否定した。大使として、あってはいけない発言をしているんです。実際、軍の関与で虐殺はあった。そもそも軍が関与してなければ、誰があんな大規模なジェノサイドをやるんや」

 ――日本の外務省の言い訳は散々聞いてきましたが、結果、国軍や国軍閥の企業をサポートし、この軍事クーデターに加担していたことになるわけですから、その反省と総括は必要でしょう。

軍政打倒のための民族間共闘は成立するのか

 ――ラ・ウーさんを通じ、NUGにロヒンギャとの和解と共闘を説いたのはいつごろですか?

「軍事クーデターが2月1日に起きて、2月5日に連邦議会の有志議員が連邦議会代表委員会(CRPH)を立ち上げたときからです。CRPHがNUGに移行する前の段階からです」

 ――CRPHの中心的なメンバーであるドクター・ササが「ロヒンギャは私たちの兄弟である」と公式に発言していましたね。

「ドクター・ササは、今はNUGの大臣です。その彼がロヒンギャについてそう発表した。それで国内外のミャンマー人がロヒンギャのことを受け入れるようになりました。だから、今まで私にボロカス言うてきた人たちが、今までごめんなさいとかいうメールを送ってきたり、直接謝ってきたんです。ロヒンギャと、それを排除してきた他の民族の人たちがどこまで仲良くなるかはわからないんですけど、意識が変わってきたということです」

ドクター・ササが映るスクリーンを見つめるデモ参加者たち(2021年3月21日、ミャンマー、ヤンゴン)

 ――ただ、ラカイン州の少数民族のうち、仏教徒のアラカン族と、ムスリムのロヒンギャはまだNUGの閣僚には入っていません。

「そこが課題ですね。全民族が一枚岩になっていないんです。NUGにはクーデター後、抗議デモのリーダーとしてがんばったイティンザーマウンという若い女性も副大臣として入っていますし、カチン族など多民族で構成されていますが、確かにアラカンとロヒンギャというラカイン州の二つの民族が入っていません。まずアラカンにはNUGの方から、私たちの政権に入って下さいとオファーを出した。でもアラカン側は断ったんですよ。これは武装勢力AA(アラカンアーミー)のリーダーであるトウンミャーナインが、ツイッターではっきり書いています、『NUGが私たちにリスペクトを示して政権に入ってほしいと呼ばれたけれど、私たちには私たちの考え方があって、入りませんでした』と」

 ――AAは連邦国家の一員としてミャンマーの政治に参画するのではなくて、ラカイン州の独立を考えているからですか。

「そう思います。AAは連邦制についても言及をしているのですけど、ただ本当に連邦制に賛成であれば、国民統一政府には入っているはずや。1人も入っていないということは、少数民族アラカンにはビルマに対する恨みや妬みがまだ残っているのでしょう。かつてアラカン王国という独立国を持っていただけに、分離して民族自決をしていきたいという意識が高いのでしょう」

 ――一方でロヒンギャはミャンマーの一員になりたいという悲願を持っています。

「ロヒンギャは、かつて自国を形成したことがなく、自分たちの王様がいなかったので、このミャンマーの中にいて、自分たちを国民として民族として認めてほしいというメンタリティがあるんやね。しかし、NUGはロヒンギャに対しては一緒にやろうと声さえかけていません。我々は兄弟だと言いながら」

 ――そこが複雑です。現在、国軍がクーデターによって興した軍事独裁政権にNUGが対抗しているわけですが、アラカン族とロヒンギャの不参加というラカイン州の問題は大きく影響して後々まで尾を引いていくのではないですか。

「私は、もう人生は短いんやから、はっきりさせるしかないやん、と言っています。NUGはアラカンに対して『あなたたちは独立を考えていますか?』と、単刀直入にはっきり聞くべきやと思います。『いや、考えてまへん!』と答えが返ってきた時には、『じゃ、対話して連邦制を作ってミャンマー軍事政権を倒しましょう』とはっきり言ったほうがいいんですよ。はっきり聞かないし言わないから、ラカイン州のメンバーについてはまだ固まっていない。ロヒンギャに対しても明確じゃないんです。そこはまだまだ課題ですね」

 ――ロヒンギャと和解すべきだとNUGに対して提言をしているというラ・ウーさんはビルマ民族ですか?

「ビルマ民族です。ラ・ウーさんと私の意見の違いももちろんあるんですけど、私に期待もしてくれているので、頻繁に連絡を取り合って情報を交換しとります。実は2月1日の軍事クーデターも彼は予測していました」

 ここで、アウンミャッウインは嬉しい提案をしてきた。

「オーストラリアとはほとんど時差もないし、今、彼と連絡がつきますよ。直接、聞いてみますか?」

 異論があるはずがなく、大阪とメルボルンを結ぶオンライン取材が可能となった。店内のWi-Fiに接続したスマートフォンでアプローチすると、すぐに繋がった。

スマートフォン越しにオーストラリア在住のラ・ウーさんと対話するアウンミャッウインさん

90年代民主化の闘士、ラ・ウーへの取材

 ラ・ウーは政治亡命したビルマ民族出身のミャンマー人である。今年4月で70歳を迎え、現在はオーストラリアのメルボルンで暮らしている。1990年の総選挙ではNLDの国会議員として選出された。しかし、この総選挙ではアウンサンスーチーが率いるNLDが大勝したものの、軍政が選挙結果を認めなかった。まさに今回の軍事クーデターの論拠と同じである。軍政は独裁を続け、スーチーは自宅軟禁におかれた。このミャンマーの暗黒時代の中で、ラ・ウーは1990年12月、NLDの議員らとともに臨時亡命政府(NCGUB)を結成し、労働大臣の任に就いた。1991年1月にはカレン民族の武装組織であるカレン民族同盟(KNU)の本部に接近し臨時亡命政府への支持を取りつけた。
 しかし、1996年にキン・ニュン率いる当局の手が伸び、国防省情報総局(OCMI)によって息子が逮捕された。翌年、ラ・ウーは娘2人と妻をオーストラリアに逃がし、自身はKNUの実効支配地域に戻って活動を続けたが、いよいよ生命の危険を感じて、2006年に妻子の住むオーストラリア、メルボルンへ渡った。その後も国外からNLDをサポートし続け、スーチーが復権をしたのを見届けた。かつての臨時亡命政府の重鎮として現在でも民主化勢力に大きな影響力を持つと言われている。

 ――ラ・ウーさんは今回の軍事クーデターを予測していたということですが、それは何を根拠にしていたのでしょうか。

「2020年の総選挙の結果が出た後に、私は自分のフェイスブックでライブスピーチをしました。そのタイトルは『ミン・アウン・フライン最高司令官はこれから必ず悪事を起こす』というものでした。ミン・アウン・フラインは以前の最高司令官であったタン・シュエとは違う。だから必ずクーデターを起こすと確信していたので、警鐘を鳴らしたのです」

 ――タン・シュエは前任の国軍最高司令官ですね。ミン・アウン・フラインがタン・シュエと違うとはどのような意味ですか。

「タン・シュエもまた酷い独裁者で、ジャーナリストを拘束したり、少数民族のシャンやカレンを迫害し続けてきました。ただし、彼は政界を退いてからは表舞台に出てきていません。しかし、ミン・アウン・フラインの場合はもっと自分中心で、ミャンマーの財産を私的に奪っている。そして本来なら60歳で定年引退するはずのところを2016年に5年間延長したんですよ。それだけ利権に執着している。とはいえこれ以上は延長できない。次に新しく誕生する最高司令官がもし自分を裏切ったり、民主化側が勝利した場合には、今まで自分が収奪してきた資産や財産を凍結、没収されるかもしれない。もしくは自分が裁判にかけられる可能性がある。それをミン・アウン・フラインは恐れていたんです」(※編集部注:2021年5月20日の報道で、最高司令官の65歳定年規定がクーデター直後に撤廃されていたことが判明した)

著者情報

ノンフィクションライター、ビデオジャーナリスト

木村元彦

きむら ゆきひこ

1962年、愛知県生まれ。中央大学卒業。東欧やアジアを中心に、スポーツ文化や民族問題などの取材、執筆活動を続ける。著書に『誇り』(98年、東京新聞出版局)、『悪者見参』(2000年、集英社)、『終わらぬ「民族浄化」セルビア・モンテネグロ』(05年、集英社新書)、『蹴る群れ』(07年、講談社)、『社長・溝畑宏の天国と地獄』(10年、集英社)、『争うは本意ならねど』(11年、集英社インターナショナル)、『徳は孤ならず』(16年、集英社)、『橋を架ける者たち』(16年、集英社新書)、『無冠、されど至強』(17年、ころから)、『コソボ 苦闘する親米国家 ユーゴサッカー最後の代表チームと臓器密売の現場を追う』(23年、集英社インターナショナル)など多数。『オシムの言葉』(05年、集英社インターナショナル)で第16回ミズノ・スポーツライター賞を受賞。

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