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連載

ミャンマーサッカー代表選手ピエリアンアウンは何を選んだのか? なぜ選んだのか?

第23回

木村元彦(ノンフィクションライター、ビデオジャーナリスト)

 ピエリアンアウンは自ら、難民認定申請用紙を書き上げると、近所の空き地でしばし、ボールを蹴った。

「日本代表との試合の感想は?」
「ミャンマーとはとても大きな実力の差を感じました」

 ピエリアンアウンは2010年にプロになり、2013年にミャンマーのユース代表、2017年にはA代表になった。いわば順調にステップアップしてきたエリートであるが、極めて冷静に彼我のギャップを観察していた。

「でもかつてはビルマ人が日本人にサッカーを教えてくれていたのを知っている? チョウ・ディンという人が100年前に来日して、竹腰重丸さんという日本代表の選手や監督を育てたんだよ」
「聞いたことがあります」

 

空き地でボールに触れるピエリアンアウンさん

「ミャンマーに対するその恩が日本サッカーにはあるよ。日本代表で印象に残った選手は?」

 ポツリポツリとゆっくり話す中で、これには即座に名前が出てきた。

「南野(拓実)」
「どんなところが?」
「私はGKです。私の後ろには誰もいません。だから前に進むのです。対峙するのはいつもFWです。FWとしての南野は技術があって勇気があって、チームの戦術をとてもよく理解しているのが分かります」

 リバプールが好きだというのもあるだろうが、南野を語るときの表情がひと際、嬉しそうに輝いた。レベルの差は痛感しているし、自分はピッチに立つことはできなかったが、同じフットボールの地平に立つ者として試合に臨めたことが何より嬉しいのだ。
 自身のプレーについて語るとき、ピエリアンアウンの態度は極めて謙虚になり、禁欲的になる。こんな言葉を連ねるのだ。

「同じピッチで見ていて、私はとても日本のトップリーグ(J1)では通用しないと思いました」
「子どもにサッカーを教える仕事ですか? それは簡単なことではありません。人を教えるということは、大変なことです。そのような機会が私にあるのならば、コーチングを必死に学ぶ必要がありますし、努力をし続けなければなりません」
「私の得意なプレーですか? FWの選手ならば、ドリブルやヘディングなど、それを語ることができるでしょう。しかし、GKは簡単に言うことはできません。得手不得手ではなく、総合的な力が求められるからです。また口にすることで、相手に情報を与えてしまいます。それはGKにとってはやってはならないことです」

家族を思うと……

 空き地でボールに触って少し体をほぐすと、午後に大阪出入国在留管理局に向かった。難民認定申請書は正式に受理された。担当の空野佳弘(そらの・よしひろ)弁護士は「あの3本指のポーズは国軍を激怒させている。帰国すれば大きな危険が待っている。彼を難民認定せずに、いったい誰を認定するというのでしょうか」と語った。
 軍事クーデター政権はサッカー代表チームをW杯予選に出場させることによって、平穏で真っ当な国であると対外的にアピールしたかった。海外メディアは独裁だ、内戦状態だと批判しているが、何のことはない、このように代表チームの選手も支持しているから、招集にも応じて試合をしたではないか、と。
 その思惑を世界に向けた不服従のポーズでひっくり返されたのだから、確かに怒りは尋常ではなかろう。帰国便でヤンゴン空港に到着した代表選手たちは早々に兵士に取り囲まれて、「ピエリアンアウンの実家の住所を教えろ」と詰問されたという。

 この日(6月22日)はピエリアンアウンの故郷マンダレーでまたも戦闘があった。国民防衛隊(PDF。民主化勢力が結成した武装組織)の拠点を国軍が攻めて8人を殺害している。戦闘と書いたが、その兵力には象と蟻んこほどの差があり、実態は自衛する一般市民に強大な軍隊が襲い掛かった虐殺である。

「それを思うと、難民申請をした私はとてもつらく複雑な気持ちです」

 ピエリアンアウンが関西空港で最後まで残るか否か、葛藤したのは、残してきた家族、父親と兄弟のことがあった。出国ゲートに姿を現したときの囲み会見で印象的な言葉があった。「もしも私の家族が危害を加えられるようなことがあれば、帰国して身代わりになる」と思い詰めた表情で言い切ったのだ。
 現在、実家の前には、家族がそれまで見たこともない車が数台張り付き、家族のすべてが監視状態に置かれている。

いつかJリーガーに

 7月2日、再び大阪入管で、ピエリアンアウンに対して難民認定審査のための調査官によるインタビューが行われた。朝9時半から午後6時までそれはかかった。夕刻、すべてが終わって姿を現すと取材に答えた。

「調査官からの質問はシンプルなものでした。私のバックグラウンドについて語りました」 

 そしてこの日、ビザが切り替わった。緊急避難措置が認められて、6カ月の在留と就労が認められたのである。

「このことに感謝をしたいと思います」

 どんな仕事をしたいですか、との問いには「サッカーの仕事をしたいです」と思いを素直に告げた。
 一時は逮捕や拷問も覚悟して帰国することも考えてはいたが、日本に残った以上、自分にできることを全力で成し遂げたい。それは何かと自問したとき浮かんできたのは「Jリーガーになること」だった。何日も前から、彼は言っていた。

「給料はどんなに安くても良いのです。私がJリーガーになれば、またミャンマーの人たちを励ますことができる。そして国軍への抗議にもなる。国軍に勝つことにもなる。日本でサッカーをがんばって、いつかミャンマーが本当に民主化して良い国になり、帰ることができたなら、そのときは祖国の子どもたちに日本で学んだことを伝えていきたいのです」

 まずはビザが就労可能なものに切り替わり、日本での夢に向かってハードルをひとつクリアした。

大阪入管でのインタビュー後、在留カードを手に取材に応じた

 ピエリアンアウンはY.S.C.C.横浜での練習に参加する。機会を与えた吉野は言う。

「まずは母国でもリーグ戦が中断している選手に、サッカーをする環境を提供したということです。うちのチームに所属してもらうかは、彼のサッカー選手としてのプレーを見てからです。プロとしてリスペクトすればこそ、評価基準はそれ以上でも以下でもありません」

 ピエリアンアウンもまたそれを望む。

「Y.S.C.C.横浜の試合をインターネットで見ました。とても選手の質が高くて、正直、ミャンマー代表がこのチームと試合をすると負けると思いました。でもだからこそ、私は挑戦したいのです」

 Jリーガーになる。ストイックな生活をまた自らに課す覚悟を口にした。それはいつか、帰国が叶う日まで続く。

*2021年7月3日、NGO「日本ビルマ救援センター(BRCJ)」は、「ピエリアンアウン選手を支援する会」を発足しました。

著者情報

ノンフィクションライター、ビデオジャーナリスト

木村元彦

きむら ゆきひこ

1962年、愛知県生まれ。中央大学卒業。東欧やアジアを中心に、スポーツ文化や民族問題などの取材、執筆活動を続ける。著書に『誇り』(98年、東京新聞出版局)、『悪者見参』(2000年、集英社)、『終わらぬ「民族浄化」セルビア・モンテネグロ』(05年、集英社新書)、『蹴る群れ』(07年、講談社)、『社長・溝畑宏の天国と地獄』(10年、集英社)、『争うは本意ならねど』(11年、集英社インターナショナル)、『徳は孤ならず』(16年、集英社)、『橋を架ける者たち』(16年、集英社新書)、『無冠、されど至強』(17年、ころから)、『コソボ 苦闘する親米国家 ユーゴサッカー最後の代表チームと臓器密売の現場を追う』(23年、集英社インターナショナル)など多数。『オシムの言葉』(05年、集英社インターナショナル)で第16回ミズノ・スポーツライター賞を受賞。

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