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連載

迷いと葛藤を乗り越え、混乱のアフガニスタンへ(2021年8月)

白川優子(看護師)

 上司に呼ばれた。現地の状況があまりにも過酷そうだから、今からでも良く考えなさい、と言ってくれた。彼からは、いったん出発したとしても、道中であっても、現地に到着した時であっても、自分で判断していつでも引き返して大丈夫だから、と言われ、本当にそうしようと思った。気を遣ってくれた上司には感謝したが、それほどまでの場所に行くのだ、という現実も、また重くのしかかってきた。

●8月11日

 上司から、私のビザと出発日についての連絡があった。オペレーションセンターと私との間に彼が入り、話を進めてくれている。一刻も早い出発のためには通常のビザ発給を待っている時間はなく、カブール空港で到着ビザ(空港や海港で到着時に取得するビザのこと。アライバル・ビザ)の取得を試みる方向に切り替えたようだ。いずれにせよ、現地からの入国許可証の発行を待つ必要があるが、少しは出発を早めることができる。オペレーションセンターは、私に8月15日に出発してほしいと言っているらしかった。

 ただ、上司がここでも私を気遣ってくれた。私の現在の仕事の片づけや荷物の準備、心の準備などを考慮して、17日に延ばしてもらうように伝えようと思っている、それについて私はどう思うかと上司から尋ねられ、その通りで良いと伝えた。

 オファー当初は8月25日あたりだろうと思っていた出発は少し早まり、そのぶん早く家族に言わなくてはいけない。この日は、8月18日と20日に入っていた友人との約束をそれぞれキャンセルした。

 この期に及んでも、まだ私は行きたくないという気持ちはあった。ただそれは心の奥の奥に自分自身で押しこめた。しかし、家族にまだ報告をしていない焦りも日に日に心を重くする。

 誰かに聞いてもらわないと、心が押し潰されてしまいそうだった。そこでアフガニスタンに行くことをMSFの同僚数人に伝えた。あわよくば、不安な気持ちを吐き出せるかもしれないと、ほんの少しだけその気持ちも伝えてみた。

「そんなホットな場所に行くなんてさすが優子さんですね」という反応もあれば、「事務局の仕事も執筆も抱えているあなたが行くことはないでしょう」という心配の声などさまざまだったが、そんな中、少し私の気持ちを楽にしてくれた声もあった。

「優子さん、大丈夫ですよ、なんだかんだ、現地ではどうせみんなで卓球とかやって楽しんでいますって」

 この言葉を返してくれた彼とはイエメンで3カ月ほど一緒に働いたことがある。24時間の多くをお互いの仕事場である救急室と手術室で過ごしたが、時間がある時には宿舎内にあったプレイテーブルで卓球を一緒に楽しんだ。彼なりに、私の気を楽にしようと気を遣ってくれたのだろう。彼の言うように、確かにどこの現地に行っても、楽しい時間は今まで必ずあった。ここでやっと少し気が晴れた。

●8月15日

 入国ルートと出発日を変更するという連絡があった。カブール空港が混乱しており、カブール行きの全ての商用便がキャンセルになる可能性が高いという。カブール空港で到着ビザを取得するために必要な入国許可証はすでに届いていたが、それはもはや必要なくなってしまった。
 新しい指示は、まずは隣国タジキスタンに向かうこと。ビザ申請は済んでおり、出発日の目安は8月21日になると言われた。事務局の仕事を18日まで行い、19~20日は有休を取って出発の準備をしようと思った。

2021年8月16日、アフガニスタンのカブール空港。国外脱出を望む人々が押し寄せ、離陸する米軍機に追いすがったが……

●8月19日

 いよいよ家族に伝えなくてはいけない。実は、言わないで出発してしまおうかという考えも何度も頭をよぎった。言わずにすめばどんなに楽だろうか。しかし何度も考えた結果、逃げてはダメだという考えに戻った。この数日前、義理の妹の耳に先に入れておいた。伝える順番を緻密に考えていた訳ではないが、タイミングの問題で偶然そうなった。その後は順番にLINEで一人ひとりに報告した。こんな大事なことをLINEで報告する無礼もないと思うが、とても直接は言えず、それは本当に勘弁してほしかった。

 もう行くと決めたので、反対されないように気を配った。予想通りみな初めは驚き、「なんで行くの?」とも言われた。

「私だって本当は行きたくないのだ」という気持ちを隠し、ニュースでやっているのは、国全体のほんの一部のことだから心配はない、と説明した。もちろん私だってまだ現場にはいないのだから、実際のところは分からない。最後はみな、気をつけてね、頑張ってね、と言ってくれた。ひとまず安心はしたが、責務を果たした解放感は期待していたほどでもなく、こんな時にきちんと会って話さずLINEでの報告になってしまったことへの罪悪感の方が心を締め付けた。

 アフガニスタンの情勢悪化のニュースが連日目立ってきた。家族も見ているだろうと思うとつらかった。

●8月20日

 私にもしものことがあった時のことも考えていかなくてはならない、とリストを作った。マンションやクレジットカードなど、解約しなくてはならないものを書きだし、MSFの事務局に返却しなくてはいけないセキュリティカードなどをメモとともに部屋の分かりやすいところに置いた。かつては当たり前のように平気で毎回行っていた作業であったが、今回はこんなことは二度としたくないと思った。ふと、他のみなはこういう時にどうしているのだろう、という思いが頭をよぎった。紛争地に行く前に、同じような整理をしているのか、しているとしたらどのような思いを抱えながら行っているのだろう。今まで気にも留めたこともなかった。

●8月21日

 タジキスタンのビザが降りずに出発が延びている。部屋は全て片付き、荷造りも終えている。あとは、ビザが降り次第の出発だ。飛ぶのは今夜か、明日か。

 この日の午前中、呼吸困難が襲ってきた。何年ぶりだろう。いつもは帰国後、特に電車の中で起こることが多い。この不安を誰に伝えられるだろう。今回は自分でもビックリするほどに、派遣に対して消極的だ。私は一体どうしてしまったのだろうか。心はエネルギーを欲していたが、どうやって満たされるのかが思い浮かばなかった。美味しいものでも食べに行ったら少しは気が紛れるだろうか。そんな単純なことではないだろう。

 そうだ、と思い起こし、長いこと連絡を取っていない知人に連絡した。かつて、私に万が一のことがあった場合には、Facebookをクローズしてほしいとお願いしていた人物だ。私のいないところでSNSがひとり歩きをしないためには不可欠だ。事情を説明し「例のお願い」を伝えた。「了解」という軽快な返事がくると思ったが、「縁起の悪いことを考えないように」とかわされてしまった。この人には私の不安をさらけだし、そして慰められたいという甘えがあったが、割とアッサリと会話は終わった。Facebookの過去の投稿やプロフィールを全て非公開にし、これで心残りなく出発ができると思った。
 出発は8月23日と決まった。タジキスタンのビザはまだ降りていないが、まずは経由国のトルコに出発し、イスタンブール国際空港の到着時にまだビザが降りていなかったらそのままイスタンブールで待機するように指示された。こうして私は羽田空港から旅立った。

 イスタンブール空港に到着し、メールをチェックするとタジキスタン入りのビザはギリギリ届いており、すぐにタジキスタンに向かった。タジキスタンには私を入れて7人が各国から集まっていた。ここからはこのメンバーとともにアフガニスタン入りを目指す。

●8月26日

 タジキスタン、ドゥシャンベ空港の駐機場で、朝日を独り占めしたMSFのチャーター機が最終点検を受けていた。2名のパイロットに誘導され、機内に乗り込む。私たちのためにアフガニスタン行きのフライトを担ってくれたこのパイロットたちにも頭が下がった。人道支援は、本当にたくさんの人々に支えられているのだと、ここでも実感した。

 ここからはまずカンダハール空港に向かい、アフガニスタンに入国する。メンバーのうちカンダハールで活動する予定の1人を降ろし、そしてカンダハールで待機している別の2名を拾う。そこからは8人で最終目的地、ヘルマンド州のラシュカル・ガーを目指す予定だ。

著者情報

看護師

白川優子

しらかわ ゆうこ

1973年、埼玉県出身。小学1年生で「国境なき医師団」にあこがれる。高校卒業後、坂戸鶴ヶ島医師会立看護専門学校を卒業して看護師となる。日本で外科・産婦人科を中心に看護師として計7年間勤務。2003年にオーストラリアに渡り、06年にオーストラリアン・カソリック大学看護学部を卒業。その後、現地の病院で手術室などを中心に4年にわたり勤務。2010年、37歳で念願の「国境なき医師団」に参加。外科チームの手術室看護師として、シリア、イエメン、南スーダン、パレスチナ(ガザ地区)、ネパールなど、紛争地や被災地を中心に活動。2018年7月時点で9カ国、17回の派遣経験を持つ。著書に『紛争地の看護師』(2018年、小学館)がある。

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