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連載

社会運動――変容する目的と手段

吉田徹(同志社大学教授)

 1970年代を経て、社会運動はそれまで労働を基盤としたものから、「新しい社会運動」と呼ばれる、新たな様式へと変化していきます。政治学者イングルハートは、賃上げや労働環境改善を求める「物質主義的価値観」ではなく、自己決定権や言論の自由、環境意識といった「脱物質主義的価値観」が社会運動の主要なテーマとなったこうした変化を「静かな革命」と呼びました。
 この旧来の社会運動と新しい社会運動の共闘を描くのが『パレードへようこそ』(マシュー・ウォーチャス監督、2014年)です。舞台は1984年のイギリス。当時は以前の連載でも紹介したように、物価高に対処するために労働組合、とりわけ炭鉱労働者によるストライキを徹底的に排除しようとしたサッチャー政権の時代でした。
 公団に住む若者でゲイ・コミュニティのリーダー格でもあるマークは、炭鉱労働者を応援しようと、「炭鉱夫支援同性愛者の会」を仲間と立ち上げ、募金活動を始めます。なぜなら「彼らは僕らと同じだ。同じいじめにあっている。警官とタブロイド紙と政府にいじめられている」――この時代は、まだ不治の病であったHIV(エイズ)が広がり、社会不安を呼び起こしていたことも想起する必要があります。社会運動論では「フレーミング理論」と呼びますが、運動する理由は何か、何のために運動をするのかを説得的に提示できるかどうかが、運動の成否を分けるとされます。マジョリティ社会の中のマイノリティである炭鉱労働者と、マイノリティ社会の中のマジョリティであるLGBTは共通の目的を持っていると提示することで、会は賛同者を増やしていきます。
 もっとも、苦労して集めた支援金を届けるのは容易なことではありませんでした。社会からまだ奇異の目で見られるLGBT(そういう言葉すら当時はありませんでした)からの支援を受けることは、社会的に保守的な炭鉱労働組合が歓迎するところではなかったからです。意を決した彼らは、直接に支援金を届けようとウェールズ地方の炭鉱の村へと出かけていきます。「ゲイに会ったのは初めてだ」「炭鉱夫に会ったのも初めてだ」――二つの交わることのない世界の出会いです。
 二つのコミュニティの中でも、それぞれ葛藤が生まれます。歓迎されないのに募金活動をすることの意義を問うゲイもいれば、LGBTの支援を受けることで世間からますます支持を失ってしまうのではないかと恐れる炭鉱夫もいます。それでも、支援する理由を問われたある者は「炭鉱夫の掘った石炭でゲイは朝3時まで踊ることができる」と宣言し、支援される理由を問われた者は「手と手を握る、それが労働運動だ」と述べて、違いを乗り越えて運動を進め、炭鉱夫のためのチャリティコンサートも成功を収めます。

映画『パレードへようこそ』より

 様々な想いが交錯しつつも、LGBT運動拡大のために自分たちが利用されたと感じた炭鉱の労組執行部は、最終的に支援を断ることを決議します。それと同時に、サッチャー政権の圧力に抗しきれなくなった炭鉱のストも85年に終結を迎えます。
 ただし連帯はこれで終わりませんでした。この年にロンドンで行われたプライド(ゲイ)・パレードに、今度はLGBTらと親交のあった炭鉱労働者たちが「同性愛者支援炭鉱夫の会」を結成して、何百人と参加することになったからです。「皆さんがくれたのはお金ではなく友情です。自分よりはるかに巨大な敵と闘っているときにどこかで見知らぬ友が応援してると知るのは最高の気分です」――ゲイたちからの寄付金を受け取った炭鉱夫が語る言葉です。
 政治哲学者のエルネスト・ラクラウは、資源やネットワークがない孤立した集団が、社会で大きな勢力になるためには、様々なシンボルを介した「結合」が欠かせない条件であると指摘しています。異なる社会に生きる、異なる世代が相互に支え合うことで、運動は大きな影響を持つことになります。『パレードへようこそ』は、古い社会運動、新しい社会運動も、ともに社会運動である点において何も変わらないということを見事に表現した作品です。

 

『ザ・イースト』――新たな時代に社会運動は可能か

 新たな時代の、新たな社会運動をサスペンス風に描くのは『ザ・イースト』(ザル・バトマングリ監督、2013年)です。環境問題と、大資本に対する過激派アクティヴィスト運動を題材としている点は、時代を先取りした作品と言えるでしょう。
 アメリカで大企業に対するテロ行為が立て続けに起きたことを受け、コンサルタント会社に勤める主人公のジェーンは、犯人の正体を探るため「ザ・イースト」と自称する集団に潜入しようとするところから、映画はスタートします。この集団は、カリスマ的なリーダーであるベンジーを慕う若者たちが集い、自然の中でともに生活を送りながら、社会問題を引き起こす企業を懲罰し、問題を世間に知らしめることを目的にして結成されたものであることが明らかになります。「我々はザ・イースト。人々の心に警鐘を鳴らす」――集団はITを駆使しつつ、周到に計画され、極めて洗練された手法でもって大企業の悪事を白日のもとに晒すことに成功します。もとは彼らを告発することを心に決めていたジェーンですが、正義感の強い彼女は、徐々に集団の思想に感化されていきます。

映画『ザ・イースト』より

 彼らが新たなターゲットとして定めたのは汚染水を垂れ流し、健康被害を引き起こしている企業でした。アメリカでは2015年にミシガン州フリント市で、鉛による甚大な健康被害が社会問題となったことがあり、今の日本でも米軍基地から流れる化学物質PFASが問題になるなど、水汚染は深刻な問題であり続けていますが、それらを予言するかのような内容でもあります。
 では、どのようにしたら広く世間の注目を浴びることができるのか――社会運動論には「争点サイクル論」という理論があります。これは、ある社会問題が関心を集めても、飽き性な世間は徐々に関心を失っていくため、また新たな問題を突きつけ続けないと持続的な問題解決には行きつかない、というものです。つまり、集団にとっては、持続的にターゲットを見つけ、それをいかに世間に関心を持ってもらうのかということが課題になります。ただ、「ザ・イースト」のメンバーたちは、その方法をめぐって意見の一致をみません。「人は理屈では反応しない。暴力で目を覚まさないと。9.11のときのように怒らせないと」「人を傷つけたら彼らと同類よ」「みんなが報復に反対するのは被害を受けたことがないからだ」――社会運動論では「巻き込まれのジレンマ」と呼ばれる法則もあります。これは、社会運動は過激である方が注目を浴び、運動する側の凝集力を高めることができるものの、あまりにも過激過ぎると社会から反発を浴びたり、その方法についていけないメンバーも出てきたりするというジレンマを指します。「革命はいつも困難だ。だからこそ大事なんだ。逃げちゃいけない」。リーダーのベンジーは、強硬な手段に打って出ることを決めます。
 この作品のポイントは、主人公ジェーンやベンジーを含めて、アクティヴィストは皆が個人的事情から、社会運動に身を投じていることが描かれていることにあります。ある者は過去のトラウマを克服するため、別の者は父親に復讐するため、あるいは単に居場所と仲間を求めて活動する者もいます。『ノーマ・レイ』や『パレードへようこそ』が所属やアイデンティティをベースとした運動を描いたのに対して、『ザ・イースト』は社会関係資本が喪失され、極めて個人化した時代の新たな運動の在り方とそれゆえの限界を指摘する映画でもあります。そして、こうした個人間の行き違いから、組織は壊滅的な打撃を受けることになります。つまり、極めて個人化され、絆を失った時代における社会運動の不可能性を指摘するのがこの作品でもあるのです。
 それでも、映画は最後にジェーンが今度は新しい手段でもって、まったく新しい社会運動の形を作り上げようとする希望を示して終わります。社会が変われば、それに合わせて社会運動の在り方も変わっていくことになるのです。
 社会運動はその目標と手段を、時代に合わせて柔軟に変えてきました。社会運動の捉え難さは、そうした融通無碍な姿と無縁ではありません。それでも、あるいはそれゆえに、社会は変わらなければならない、問題を解決しなければならないという意思がある限り、社会運動はこれからも決してなくなることはないでしょう。

著者情報

同志社大学教授

吉田徹

よしだ とおる

1975年生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。専門は比較政治学、ヨーロッパ政治。著書に『ミッテラン社会党の転換』(2008年、法政大学出版局)、『二大政党制批判論』(2009年、光文社新書)、『ポピュリズムを考える』(2011年、NHK出版)、『感情の政治学』(2014年、講談社)、『「野党」論』(2016年、ちくま新書)、『アフター・リベラル』(2020年、講談社現代新書)などがある。

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