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性知識イミダス:コロナ禍で揺らぐ「セックスの定義」について考えよう

イミダス編

(構成・文/加藤裕子)

 実はコロナ禍の約1年前にも、「セックス」の定義を覆す出来事がありました。私が学術委員を務めるWAS(World Association for Sexual Health、性の健康世界学会)はWHO(世界保健機関) とも協働する国際的学術団体で、2019年にSRHR(セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス&ライツ 性と生殖に関する健康と権利)に「プレジャー」という概念を追加した「セクシュアル・プレジャー宣言」を表明しました。この宣言では「セクシュアル・プレジャー(快感・快楽・悦び・楽しさ)とは、他者との又は個人単独のエロティックな経験から生じる身体的および/または心理的な満足感と楽しさのことであり、そうした経験には思考、空想、夢、情動や感情が含まれる」と謳われています。つまり、セクシュアル・プレジャーは、他者と分かち合うことができる一方で、自分ひとりでも満たすことができるものであり、大事なことは挿入や射精ではなく、セクシュアル・プレジャーを得られるかどうか、ということなんですね。

 そう考えると、従来型のセックスはセクシュアル・プレジャーを得るための選択肢のひとつに過ぎないということになるでしょう。他者とのセックスが気持ちよくなくてもソロセックスで満足できるなら、無理にセックスをしなくてもいいわけです。

 性の多様性とは性的マイノリティだけが関係するものではなく、すべての人にあてはまるもので、誰もが個別のニーズを持っていると言えます。セクシュアル・プレジャーにも「これが普通」「これが正解」というものはありませんが、多様性があるといっても、セクシュアル・プレジャーにおいては、痛いこと、嫌なこと、つまらないこと、したくないことは、すべて除外されるということは強調したいと思います。「セクシュアル・プレジャー宣言」では、セクシュアル・プレジャーとは、誰かの嫌な想いや我慢と引き換えに自分が楽しい想いをすることではないということが明言されています。「あらゆる人にとって肯定的な経験でありつつ、他者の人権とウェルビーイング(編集部注:well-being、ウェルビーイング。良好な状態、幸福、安寧のこと)を侵害して得られるものでない」「性の権利の文脈で行使されるべきもの」、つまり「性の健康と権利」を担保して成り立つものがセクシュアル・プレジャーなのです。

 たとえば、「セックスがいつも痛くて苦痛」というのなら、それはもはやセックスと呼べるものではなく性被害になり得ます。また、腟に射精することを互いに望んでいるならともかく、勃起がうまくいかない男性に無理に頑張らせるのも性加害と考えるべきでしょう。男性の一方的な性欲に女性はいつも消極的に応える、男性は常に射精できるのに女性はオーガズムが得られないといったことも、セクシュアル・プレジャーという観点では、けっして公平とは言えません。

自分にとって「気持ちいい」ことをみつける

 こういう話をすると、日本の男性は「どういうセックスをすればいいかわからない」と固まってしまいがちですが、結局、相手を尊重した、対等なコミュニケーションが取れているかということなんですね。うまくいかなかったらかっこ悪いなどと考えて二の足を踏むのではなく、相手の反応を確かめながら、互いのセクシュアル・プレジャーを満たしていく。たとえば、誰かを好きになり、セックスしたいと感じたのであれば、「人を好きになること」と「その人と仲良くなること」は全然違うということを考えてみてほしいと思います。一方的に好きなだけの相手に性的に触れようとしたら性加害ですが、相手からも好きになってもらえて、カップルになれたなら、愛情を伴う触れあいができる。その間には実はすごく高いハードルがあり、そこを越えていったところに、お互いが納得できる触れあい方、楽しみ方があるのです。ジェンダーギャップが大きい日本では、男性がいきなり変わるのは難しいかもしれませんが、そうした触れあいこそが、今の時代にセックスと呼ばれる行為なのではないでしょうか。
 セクシュアル・プレジャーを満たすには、男性も女性も、もっと自分の体を知り、プレジャーグッズなども活用しながら自分のニーズをみつけて、相手と一緒に楽しむということが近道と言えるかもしれません。その最初のステップは、自分の性器を見て、触ってみることです。男性はともかく、女性は自分の性器を見たことがないということも少なくなく、出産のときでさえ、赤ちゃんが出てくる瞬間を見るのが「怖い」という人もいます。自分の性器を見たり触ったりすることを「怖い」「汚い」「いやらしい」と思うのだとしたら、その思い込みを変えていくことが必要です。自分の性器を見て触ってみるなんて、偏見さえなければ誰でもできる簡単なことなのですから。

「セクシュアル・プレジャー宣言」では、「セクシュアル・プレジャーの源にアクセスすることは、人間としてあたりまえの経験および主観的なウェルビーイングの一部をなす」と書かれています。つまり、セクシュアル・プレジャーは、自分自身の人生を豊かにし、健康でいるために誰にとっても必要なものであり、そしてそれはその人にとってのプレジャーであるということです。「セックスしなければならない」「射精しなければ、挿入しなければならない」「子どもをつくらなければならない」など、頭でっかちに世の中で「定義」とされているものに自分をはめようとせず、全身の感覚を使っていろいろと試しながら、自分自身のセクシュアル・プレジャーをみつけていってほしいですね。

子どもに「セックス」をどう教えるか

 子どもにセックスをどう教えるか、という質問を受けることもありますが、セックスとはどういうものかを考えるとき、ユネスコを中心に開発された「国際セクシュアリティ教育ガイダンス(International Technical Guidance on Sexuality Education)」が参考になると思います(編集部注:2020年に明石書店から『【改訂版】国際セクシュアリティ教育ガイダンス 科学的根拠に基づいたアプローチ』が刊行されている)。このガイダンスでは下は5歳から、上は18歳以上を対象に、発達段階に応じた学習課題が提示され、男女の身体の仕組みヒトという生き物の成長のプロセス性と生殖に関する健康相手との関係性を築くためのコミュニケーションジェンダーの理解など多岐にわたる内容が示されています。挿入と射精はそうした全体の中のあくまで一部分であるという、包括的な性教育のプログラムが世界のさまざまな国で実施されています。
 日本では、教育全般にも医療全般にも、性は健康の概念に入っていないかのように扱われています。けれども、フィンランドでは性教育のことが「人間生物学」と表現されているように、性教育とは本来、人生教育の一端です。当たり前のこととして性の健康を理解し、人生の質を高める大人が増え、そうした理解を子どもたちに伝えていけるようになることを願っています。

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イミダス編

いみだすへん

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