第1回 序章「保守思想」とは何か~一つの「生の哲学」として
浜崎洋介(文芸批評家)
Ⅰ「保守」のイメージと「保守」の現実、またリベラルとの違いについて
「保守思想」と聞いて、皆さんはどのようなイメージを持つでしょうか?
「保守主義」なら聞いたことがあるし、「保守政党」というのも知っている、だけど、「保守」の「思想」なんてあまり聞いたことがないという方が多いのではないでしょうか。
ただ、私に言わせれば、これまで、この保守の「思想」を問うてこなかったことが、いまだに〈革新vs保守〉とか、〈リベラルvs保守〉とかいった二項対立型の理解——つまり、時代のなかで唱導される変革・改革の理念に対する反動的リアクションとしての「保守」という理解——しか、日本人が持ってこなかった理由であり、ひいては、この国にバランス感覚に優れた「保守」が根付かなかった理由ではないのかと考えています。
たしかに、戦後において「保守」のイメージが良くないのは私も承知しています。
ある程度、世界史を知っていて、進歩主義やマルクス主義の暴力を知っている人や、近代の合理主義に対する抵抗という思想的脈絡を押さえている人なら、「保守」に対するイメージもそれほど悪くはないかもしれません。が、そういう特別な知識がない限り、「保守」と言えば、全てにおいてずるずるべったりで、目の前の現実をなし崩しに肯定していく「自民党」か、単に「観念的なオヤジ」が浮かんでくるというのが戦後の相場でしょう。
ここで戦後政治について語ることはしませんが、「観念的な保守」のほうは単純なので、少しだけ触っておきましょう。それこそ、「伝統を守れ!」だとか、「家族制度を守れ!」だとか、もう少し具体的になっても、「日本人なら靖国参拝は当然だ」とか、「大東亜戦争はアジア解放のための聖戦だった」とか、「昔の日本人には立派な人が多かった」とか——実は、それらの言葉にも一理か二理くらいはあるのですが——それら考えを、議論抜きに頭ごなしに押し付けてくる感じ、これが「保守」の一つのイメージではないでしょうか。
しかし、これは後で詳しく述べることになるかと思いますが、西欧における「保守思想家」は、むしろ、このような「観念的」な姿から無限に隔たった存在であると言えます。
たとえば、「イギリス保守思想の父」であるエドマンド・バーク(1729~1797)は、当時、イギリス保守党の前身であるトーリ党に属していたのではなく、その反対に、自由党の前身であるホイッグ党(ロッキンガム派)に属しながら、国王とその側近による専制政治に対して「自由」を擁護した政治家でした。また、その後に保守を思想として語ったG・K・チェスタトン(1874~1936)や、T・S・エリオット(1888~1965)といった作家たちも、イギリス自由主義の伝統に連なる文学者であると言っていいでしょう。そして、さらに、二十世紀に「保守思想」を蘇らせたマイケル・オークショット(1901~1990)は、凝り固まった「信条」や「教義」を柔らかくほぐしていくための道具として、「会話」や「社交」の重要性を語りながら、そこに生まれてくる多様性や寛容の感覚、要するに「自由」の味わいをこそ守ろうとしたイギリスの政治学者でした。
保守を思想として語った文学者 G・K・チェスタトン(左)T・S・エリオット(右)
ことほどさように、西欧の保守思想家は、何よりも「自由」を擁護してきたわけですが、考えてみると、これは日本の保守思想家についても当てはまる傾向だと言えます。
たとえば、ときに「伝統主義者」や「日本主義者」のレッテルを貼られることがある小林秀雄(1902~1983)。彼は、戦時中の「東亜新秩序」の宣伝に対して、「僕はどの東亜共同体論にも、思想家が自ら考え出した力というものを認めない。(中略)今日の東亜共同体論というものが、どれも申し合わせた様に、書物から学んだ知識で、歴史の合理化、つまり話の辻褄を合わせる仕事をやっている」(「学者と官僚」1939年、『小林秀雄全作品12』、新潮社)と、その頑なで観念的なイデオロギーを批判していました——その後、小林が編集責任を務めた『文學界』は戦中に廃刊に追い込まれることになります。が、それは戦後を代表する保守言論人=福田恆存(1912~1994)にしても同じことです。福田恆存は、あの戦争に対して、「やはり反戦であつた」と語りながら、次のように述べていました、「勿論、戦争を悪とするが如き単純な反戦ではなく、国家、国民の命運を賭けた戦に対する姿勢、態度の軽佻浮薄にへどが出るほどの反感を覚えたのである。『勝つてくるぞと勇しく』と高唱しながら街を往く応召兵の行列、愛国婦人会という名の有閑婦人会、実際には何の役にも立たぬ防空演習、すべてがお座なりの形式主義であり、本気で戦争してゐる人間の姿も心も感じられなかつた」(「言論の空しさ」1980年、『保守とは何か』、文春学藝ライブラリー)と。二人とも、自分の足で立とうとしない日本人の、あなた任せの生き方を批判しつつ、それゆえに、ぎこちなく観念的にしか提示されない戦時イデオロギーの嘘っぽさ、その偽善と感傷を批判していたのでした。しかしそれなら、彼らは、時の強権政治に抵抗した「自由主義者」だったと言うべきなのでしょうか。なるほど、小林も福田も、立憲主義や代議制を否定したことはないし——特に福田は、それらを積極的に擁護さえしました——、十八世紀以前に流通していた「リベラル」という言葉の原義である「同胞に対して気前がよく、寛大である」という点についても、それは二人に共通した性格だったと言っていいでしょう。とはいえ、それだけのことなら、なにも彼らが、あれほど深く「伝統」にコミットする必要はなかったはずです。
では、単なる「自由主義者」と「保守思想家」とを分ける境界線とは何なのか。
結論から先に言ってしまえば、それは、「自由」そのものを求める態度と、「自由の条件」を思考しようとする態度、その差が「自由主義者」と「保守思想家」とを分けているものだと考えていいでしょう。保守は確かに「自由」を擁護します。が、それ以上に、その「自由」を可能にしている条件に目を向け、その希少性をこそ守ろうとするのです。
ただ、そういうと、自由主義者だって、自由の条件である「法の下の平等」や「議会制民主主義」を自覚し、守ろうとしているではないかと言われそうですが、実は、そこが少しだけ違うのです。自由主義者が「自由・平等・友愛」といった大きな理念(未完のプロジェクト=未来)を語りながら、その未来的価値を訴えるところで、保守は、むしろ「法の下の平等」や「議会制民主主義」が成り立つ前提、つまり、「法」や「議会」などの概念が機能する条件、その歴史的前提にまで遡行し、また、それを自覚しようとするのです。
かくして保守思想は、近代的諸制度の基底に、われわれに与えられている固有の条件——言葉や文化や伝統など——を見出すことになります。要するに、長い歴史の試練に晒されながらかろうじて残されてきた文化のなかに、私たちの「自然」を見出し、そのなかに、取り換え不可能な「伝統」の希少性を見出すのです。そこに、無条件に「自由」を語るリベラリズムと、おのれの自然のなかに「自由の条件」を見出し、それを守ろうとする保守との、似ているようでいて、しかし、決定的に違う志向性が見出されることになります。

Ⅱ 「調和」への感性——「変革の理念」と「反動の観念」のあいだで
では「自由の条件」とは、どのようにして見出されるのでしょうか?
実は、そこに保守の難しさが潜んでいます。というのも、「自由の条件」とは、その時と所と立場によって違ってきてしまうものだからです。何を「自由」の根・幹(取り換え不可能な核)と見做(みな)し、何を剪定(せんてい)すべき枝・葉(取り換え可能な部分)と見做すのか、それが、その時代と地域、さらには、目の前の状況によって変わってきてしまうのです。
しかし、それなら「保守」を一義的に定義することは不可能なのでしょうか。
たとえば、政治学者の宇野重規氏は、その著書である『保守主義とは何か—反フランス革命から現代日本まで』(中公新書)という本のなかで、次のような疑問を呈していました(ちなみに、この本は、客観的立場から、つまり著者自身の思想としてではなく、政治思想の研究者・専門家の立場から書かれた「保守」についての一般的な入門書です)。