第3回 フランス革命に対する二つの態度~バークとカント
浜崎洋介(文芸批評家)
「自然界の偉大で崇高なものが生み出す情念は、もしもこれらの原因が最も強力に作用する場合には驚愕となる。驚愕とは或る程度の戦慄を混えつつ魂のすべての動きが停止するような状態を言う。〔中略〕それ故に我々の推論作用によって生み出されるどころか、むしろそれを先取りして不可抗的な勢で我々を拉し去って行くあの崇高の偉大な力能が、ここから生ずる。私が述べた如く、驚愕は崇高の最高度の効果でありそれの弱い効果が嘆賞、尊敬、敬意などである。」
「或る意味での無限という感じを我々に呼び起さぬものが偉大さという観念を心に植えつけうるとはほとんど考えられないし、また我々が対象の輪郭を知覚しうる限りはこの対象が無限という感じを惹き起しえないことは明らかであるけれども、実は対象を明確に見るということとその輪郭を知覚するということは同じ一つのことに過ぎない。それ故に明晰な観念とは取りも直さず、小さい観念の別名なのである。ヨブ記には驚くべき崇高な一節があるが、この崇高さも主としてそこに描かれた物事のもつ恐るべき不確定さにもとづいている。」(『崇高と美の観念の起源』中野好之訳、みすず書房)
バークは、「我々の推論作用」を超える自然界の体験として「崇高」を語っていますが、ここで注目すべきは、それが対象性のない、つまり、その輪郭を明瞭に描くことができない一種の宗教体験——「そのもの〔神〕は立ち止まったが、私はその姿を見わけることができなかった」(ヨブ記)と言われるときの驚愕と戦慄の体験としても語られていることです。
バークは、この対象化しえない崇高なもの(表象不可能なもの)を「詩」の作用のなかにも見出すことになりますが、いずれにしろここで決定的に重要なのは、この崇高についての体験が、個人の認識能力の限界ばかりでなく、人間存在の不完全性や、人間存在のもつ避け難い有限性までをも指し示していたということです。つまり、〈私の意識を超えたもの=大いなる他者〉の体験、それがバークの語る崇高論の基盤にある感覚だということです。
しかし、後に、より近代的に整理された、つまり、主観に即して体系化されたカントの崇高論——『美と崇高との感情性に関する観察』(1764年)および『判断力批判』(1790年)——からは、バークの〈私の意識を超えたもの=大いなる他者〉という主題、あるいは、その宗教性(驚愕と戦慄を与える大いなる他者という主題)が消えることになります。
たとえば、その分かりやすい一節をカントの『判断力批判』のなかから引いておきましょう。カント独特の表現が出てきますが、ここは、〈感性的形式=経験できるもの〉と〈理性理念=経験できない概念的なもの〉程度の意味で読んでいただければと思います。
「本来崇高と呼ばれるところのものは、感性的形式に含まれ得るのではなくて理性理念だけに関するものだからである。ところでおよそ理念に完全に適合するような表現は不可能であるにせよ、しかし理念はまさにかかる不適合が感性的に表現せられ得ることによって喚起せられ、我々の心意識に現前するのである。我々は、嵐のなかの怒濤逆巻く大洋そのものを、崇高と呼ぶことはできない。〔中略〕それ自身崇高であるような感情にふさわしい心的状態をもつためには、我々の心意識をすでにさまざまな理念で充たしておかねばならない、即ちその場合に心意識は感性を捨てて、いっそう高い合目的性を含むような理念を事とするように鼓舞されるのである。」
「真の崇高性は、自然的対象において求められるものではなくて、判断者(主観)の心意識においてのみ求められねばならない、またこの場合に自然的対象の判定そのものは、心意識のかかる状態を生ぜしめる機縁を成すにすぎない、ということである。」(『判断力批判 (上)』篠田英雄訳、岩波文庫)
まず、カントとバークが共有している論点から整理しておきましょう。それは、崇高を経験的な「感性形式」(空間と時間による表象)を超え出た体験として捉える視点です。しかし、同じなのはここまでです。その後、カントの議論はバークから大きくそれていきます。
まずカントは、崇高体験について、経験的な感性によっては捉えられない「理性理念」を、しかし、経験的なものと取り違えて表象してしまったところに——たとえば怒濤逆巻く大洋として表象してしまったところに——出現するものだと言います。つまり、一見、崇高に見える自然物は、自分のなかにある「理念」を呼び起こす「機縁」なのであって、そもそも本来の崇高とは、内なる「理性」(超越論的主観)によって作り出された「理念」のことだと言うのです。「理性」が生み出した超感性的な「理念」——経験を超え出た「神」や「霊魂」や「宇宙」の概念——、それが、崇高感を呼び起こすものの正体なのだと言うのです。
ここまで言えば、バークの崇高論にはあって、カントの崇高論にないものが何なのかについては察しがつくでしょう。それこそは、〈崇高とは、大いなる他者体験である〉という主題にほかなりません。
両者ともに、崇高を〈表象不可能なもの〉として捉えるところまでは共通しながら、しかし、バークは、その存在を自分の「外」にある〈意識を超えたもの=大いなる他者〉に見出しているのに対して、カントは、自分の「内」にある〈理性が作り出した理念=個人を導く理想〉に見出すのです。この「外」から「内」への視点移動、これが後に、自己を超えるものとしての「伝統」(外)を説くことになるバークと、その反対に、「個人の自律」(内)を説くことになるカントの本質的な違いを形作っていくことになります。
そして、それはそのまま、フランス革命の際に示された、プライス博士と、バークとの違いに重なってくることになります。
「人間界における全般的改善がはじまりつつある。国王の支配は法律の支配に変化したし、また僧侶の支配は理性と良心との支配に道をゆずりつつある」(『祖国愛について』前掲)と語るプライス博士の目が、あくまで、世界を作り出す人間の「内なる理性」に注がれていたのだとすれば、バークの眼差しが向かっていたのは、つねに自己の外にある「内省を超えるもの」、すなわち「自然」だったのです。バークは言います、「自然というお手本にならって機能する憲法の基本政策によって、わたしたちは自分の政府と特権とを受けとり、維持し、伝承していきます」、「自然の手法を国家の行動のうちに維持することで、改善をおこないながらもそこに新奇さだけが満ちるということは決してなく、また維持することが退化するだけに終わってしまうこともありません」(『フランス革命についての省察』 二木麻里訳 光文社古典新訳文庫)と。
自己意識に内在する「理性」に従うのか、それとも自己意識に外在する「自然」に従うのか……。その違いが、その後、革新と保守との差をかたちづくっていくことになります。
Ⅲ 近代的自己と啓蒙合理主義——カント、ロベスピエール、ルソー

イマヌエル・カント(左) マキシミリアン・ロベスピエール(右)
ところで、ドイツの詩人ハイネ(1797~1856年)は、『ドイツ古典哲学の本質』のなかで、革命家=ロベスピエールと同等かそれ以上の「破壊」をもたらした者として、イマヌエル・カントの名を引きながら、次のように書いていました。
思想界の大破壊者であるイマヌエル・カントは、テロリズムではマキシミリアン・ロベスピエールにはるかにまさっていたが、いろんな点で似ているところがあった。だから、このふたりの人物をくらべて見なければなるまい。まず第一にこのふたりには、容赦しない、するどい、雅趣のない、くそまじめな正直さがある。第二にこのふたりには、うたがいぶかい心がそなわっている。カントはそのうたがいぶかい心を『批判』と名づけて、思想にたいして発揮したし、ロベスピエールはその心を『共和国の徳』と名づけて、人間にたいして用いたのであった。第三にまたこのふたりには、ひとしく小商人根性が最高度にあらわれている。このふたりは元来、コーヒーや砂糖をはかり売りするように生れついていた。ところが、ふしぎなめぐりあわせで、ほかの物をはからねばならなくなった。ロベスピエールのはかりの皿には国王が、カントのはかりの皿には神がのせられたのである……(『ドイツ古典哲学の本質』伊東勉訳 岩波文庫)