第13回 生まれてきて、よかった?(後編)
川口好美(文芸批評家)

〝よみがえり〟をかけた物語
これまで一度も触れませんでしたが、内村さんには、ルツ子という名前の、とても大切に育てた娘がいました。彼女が生まれたのは、1894(明治27)年。「不敬事件」で仕事を失った後の、大変な時期でした。1911年、女学校を卒業したばかりのルツ子が、重い病気にかかってしまいます。内村さんも必死に看病したのですが、翌年1月に亡くなりました。
告別式の挨拶で内村さんは、〝わたしはこの式を葬式だとは思いません。これは結婚式です。ルツは天国に嫁入りしたのです〟と語りました。※3 また墓地では、棺にかぶせる土を握った手を高くかかげて、「ルツ子さん万歳」と叫んだそうです。※4 愛する娘を亡くしたショックで、悲しみにくれていたはずの内村さんが、まさかそのようなことばを口にするとは、周囲の人々は予想していなかったかもしれません。
この時の内村さんの心の動きを、わたしなりに想像してみます。
内村さんは、様々な考えや思いを整理し、納得した上で、そのように言ったわけではなかったのだと、思います。また、たんなる強がりでもなかったと思います。
それは、雷に撃たれたような、いきなりの出来事だったのではないでしょうか。〝死は永遠の別れではない〟という確信におそわれて、そんなことばを口走ったのではないでしょうか。――きっといつか彼女に会えるはずだ。彼女を囲んで皆で食事したり、お喋りしたりする時間が、また訪れるはずだ、って。〝復活〟〝よみがえり〟を信じる勇気がふいに湧き上がってきて、希望にみちたことばが溢れ出たのではないでしょうか。
1918年の別の講演では、自分に生じた変化を、つぎのように語っていました。
〝近ごろは『聖書』を読むことに行き詰まって、雑誌『聖書之研究』の出版をもうやめようと思ったことが何度かあった。しかし、心の奥底に眠っていたものが突如として動きはじめて、たちまち道が開けたのだ〟※5
〝心の奥底に眠っていたもの〟とかみ砕いた箇所ですが、原文では、subconsciousnessという英語の表現が用いられています。かたい言い方で訳すと、潜在意識、となります。
心にひっかかっていた種子が、いつの間にか殻をやぶって芽を出し、気がつけば「再臨運動」という実を結んでいた。そんなふうに感じていたのではないでしょうか。
その種子とはなんだったのでしょうか。わたしはこう考えます。それは、かなしみの底で思わず発した、希望のことばだった。本人さえビックリしてしまうような、そのことばの経験が、『聖書』の読み直し、受け取り直しに、向かわせた。これこそが内村さんの「再臨運動」の本質だった、と。
キリスト教では、宗派ごとに様々な『聖書』の解釈があります。が、基本的に、再臨には、死者の復活という出来事が含まれると考えられてきました。つまり、再臨が事実なら、ルツ子とも再会できることになります。つぎの一文からも、再会に思いをはせる内村さんの熱量が、感じ取れます。
〝再会は疑問ではない、確実だ。祈りが届かず、わたしの腕からもぎ取られた、愛する人々。しかし、わたしは彼らを永久に失ったのではない。再会の日は定められたのだ。再会の瞬間の圧倒的な喜び。それを想像して、再臨の日が待ち遠しいのだ〟※6
みなさん、ここまで読んでみて、どうですか。あれだけ科学的なものの見方を大事にしていたのに、内村さん、年を取って変わりすぎじゃないの。肉食動物と草食動物が仲良くするとか、死んだ人がよみがえるとか、さすがに付いていけないよ。そう感じて、当然だと思います。正直なところわたしも、まるごとそのままを受けいれるのには抵抗があります。
でも……。この国で、この社会で、ひとりの人間としてどう生きていくべきなのか。激動する時代に、いつも全力で喜んだり怒ったりしながら、そう問い続けてきた内村さんです。そんな人がさいごに〝絶望〟の底から紡ぎ出した、〝よみがえり〟をかけた物語。それが再臨でした。せっかくここまできたのですから、この物語も、みなさんと共にかみしめられたらと思います。