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連載

第8回 ニューロンと物語

樫原辰郎(映画監督/脚本家/評論家)

 以前、『牝刑事メスデカ』という低予算のVシネマを撮っていた時に、演技力が全くない女の子がキャスティングされて撮影現場にやってきた。予算が少ないとリハーサルをやる余裕もないので、撮影当日に初対面。こういうことは珍しくはなかった。そもそも台詞はたった一つ。犯人役の男に向かって「イヤ!」と言うだけです。この、たった一言が上手く言えない。そもそも撮影期間が3日間しかないから、何度もリハーサルを重ねるような時間はない。監督は、その場で演出プランを変更した。
「えーとね、僕が合図したら、クルッと後ろを振り向いてください。何も言わなくていいからね」。相手役の俳優さんは演技ができるから、いかにも悪そうな顔で凄んでいるから、その女の子が背中を向けただけで、観客の目には「イヤ!」と拒絶したように見えるのです。これが映画ならではの技法で、映画監督や映像のカメラマンはこういった細かいテクニックをいっぱい知っている。
 僕の師匠である渡辺護という監督は美保純のデビュー作を撮った人である。後に大女優になる美保さんも、その時は全くの素人で監督にタメ口で喋しゃべっていたという。
「それでな、俺は美保純にこう言ったんだよ、カチンコが鳴ってフィルムが回ったら、頭の中で三つ数えてから、こっちの方を向いて台詞を言ってみな、って」渡辺監督の演出プランは成功して、一発でいい場面が撮れたという。監督が「カット!」と言うと、素に戻った美保純が渡辺さんの方に向かって「監督、今ので良かったのかぁ?」とVサインをしたと言う。まことに微笑ましいエピソードだけど、映画の本質が垣間見えるお話でもある。演じている俳優自身は頭の中で数を数えているだけなんだけれども、それを見ている観客の目には、何か深いことを考えているように見えるのだ。

 (写真:F1online/アフロ)

 舞台経験のある俳優や、時代劇に出ることが多い俳優は、いわゆるタメのある芝居が上手い。思わせぶりな表情で、少しの間、動かないでいると、観客の想像力をかき立てるから、次に動きを見せた時にはドラマチックになるのです。渡辺護監督の「頭の中で三つ数えてから」という指示は、演技経験のない新人に、タメのある芝居をさせるための効率のいいテクニックだったわけです。
 これはまた別の作品の話なんだけど、とある映画のシナリオのト書きで「ウルトラの父、不安げに空を見上げる」と書いたことがあるのだ。ウルトラの父を知らない日本人はおそらくいないと思うので説明は省きますが、ウルトラの父は決して表情が豊かではない、というかFRP製のマスクなので、シナリオを書きながら、はたして本当にウルトラの父が不安そうに見えるのだろうか?と、シナリオを書いている本人が不安になったわけです。
 だがしかし、前後のシチュエーションがあるから、完成した映画を試写で見たら、その場面ではちゃんと不安そうなウルトラの父に見えたので、脚本家はガッツポーズしたい気分になったのだった。
 物語というのは、複数のシークエンス(段落)に分けられる。主人公たちがピンチに陥ってから、援軍が駆けつけると、観客は否応なしに盛り上がる。複数のシークエンスを、どのように並べるかで、その作品の面白さが左右される。劇作家や小説家、脚本家たちはシークエンス単位で物語を操って面白い作品を作るプロなのだ。だから、作家や脚本家が語る物語論は、必然的にシークエンスをどうするかという話になる。それに対して、映画の監督はシークエンスよりもさらに細かいレベルで物語を扱うことになる。背中を向けるだけで、相手を拒否する反応を描けるのだから、シークエンスを成立させるための細かい要素を意識しないと映画は撮れないのだ。つまり、映画は物語が物語になる以前のエレメント(要素)を上手く組み合わせている、という話になる。
 サイレント映画の草創期に、日本ではチャンバラ映画が、アメリカでは西部劇がたくさん作られたのは映画の本質を上手く説明してもいるのだ。刀で斬るカットがあって、斬られた相手が肩口などを押さえながら苦しそうに倒れるカットがあると、観客は倒れた人が刀で斬られたのだなと判断するし、銃を撃つカットの後に、銃で撃たれて倒れる人が映されると、観客の脳内では銃で撃たれた人が倒れたように思える。これがいわゆるモンタージュ(映像の構成)だ。映画には様々な技法があって映画監督やカメラマン、そして編集者は、モンタージュをはじめとする映画のテクニックをたくさん知っている。映画の技法の根幹にあるのは、どういう画面を撮影して、どういう順番で繋いで観客に見せるかということだ。これが小説家にとっての文章に値するわけです。小説家は文章を積み重ねて小説を作り、映画監督はカットを積み重ねて映画にする。大切なのは、積み重ねる際の順番です。たとえば、人が倒れるカットの後で、銃を撃つカットを見せられたら、何が起きているのかわからなくなってしまいますからね。
 こういった映画の技法はあまりにもたくさんあるので、いちいち説明していたらキリがない。そもそも映画監督だって、普段から全ての技法を暗記しているわけじゃない。シナリオに書かれたことを読みながら、一つひとつの場面をどのようなやり方で撮るべきかを考えるのだ。これは割合に細かい作業で、かなり面倒くさい仕事なのです。僕自身は元々は脚本家で、映画監督というのがちまちまとした細かい作業なのは知っていたので、自分で監督をやる気はなかったんだけど、大ベテランの映画監督からお前は監督に向いているから監督をやれ!と命令されて、仕方なく監督になったわけですが、いざ実際に監督をやってみると、ちまちまとした作業をやる楽しさがあることに気がついたので、そのまま監督になってしまったのだった。
 映画監督の仕事で最も重要なカット割というちまちました作業は、プラモデルやLEGOを組み立てるような作業に近い。そう、映画監督に向いているのは、模型とか編み物のような手芸が好きな人なのです。ただし、大勢のスタッフやキャストに指示を出す立場でもあるので、大工の棟梁みたいな太っ腹な資質も求められる。これが映画監督の難しいところで、精密な模型をちまちまと組み立てるような繊細さと、助監督がミスをした時に笑って済ませるようなおおらかな懐の深さが求められるのだ。このバランスが狂うと、独裁者になってしまってパワハラ事件とかを起こしてしまうのだな。
 僕自身、撮影現場でミスをした助監督に、皆が見ているところで頭突きをしたことがあります。もちろん、その後で「さっきはごめんな」と謝ったら、その助監督は「あれ、監督も痛かったでしょう」と笑顔で許してくれて、それでもまだ「いや、やっぱりごめん」と繰り返した。
 時間に余裕のない撮影現場で誰かが大きなミスをすると、現場にいるほぼ全員がミスをした人間に対して厳しい眼差しになってしまう。だから監督が皆さんの気持ちを代弁するかたちで、ミスをした助監督に頭突きをすると、その場で贖罪効果が発生して、誰もその助監督を責めようとは思わなくなる。ただし、本気で頭突きをすると自分も痛い思いをするので、これ以降は失敗した助監督には大袈裟な手振りで空手チョップをすることにした。これならどっちも痛くないし、見ている人たちも笑って一件落着となるのです。
 いささか話が逸れたので、数多ある映画の技法の中で最も重要だと思われるクレショフ効果について説明しよう。クレショフは映画が誕生した19世紀の終わりに生まれた映画人なのだが、彼は映画の技法の根幹にあるものを見つけたのだ。
 まず、男の顔を見せる。そしてその次に、美味しそうな料理の映像があると、観客はその男がその料理を食べたがっていると思う。同じ段取りで、男の顔を見せた後に、可愛らし い赤ちゃんのカットを編集で繋ぐと、観客はその男が赤ちゃんを可愛いと思っているように受け止める。さらに、同じ男の顔を見せた後で、半裸の女性が映し出されると観客はその男が半裸の女性に対してエッチな気分になっているように受け止める。
 同じように、男の顔を見せた後で交通事故の場面を見せると、観客はその男が交通事故に対して悲しんでいるように感じる。これらは全て、観客が自分の脳内で勝手に判断するのだ。だから、このクレショフ効果を使うと映像の使い回しができるのだ。男の顔の映像は同じでも、効果は変わらないから。しかし、何故にこんな効果が起きるのだろうか?
 それは、我々が普段から常に推論を行なっているからなのだ。推論というと難しそうに思えるかもしれないから、わかりやすい例を一つあげようか。
 公衆トイレのドアが閉じられており、その前に立っている人が深刻な表情をしていたら、我々はその人の内面を一瞬でお察しする。
 この人は、トイレを我慢しているのだな、と。これが推論だ。つまり、推論というのは具体的な説明とかを聞く前にお察しする能力で、我々は普段からこの能力を使いまくって生活している。
 クレショフ効果を筆頭とする映画の技法は、主にこの推論を利用して成立している。ここで少し冷静に考えてみよう。実際に、目の前にある料理を見つめている人がいたら、ああこの人は早くこの料理が食べたいのだな、とお察しするのは当然だろう。しかし、映画では、男の顔と料理の映像を順番に見せるだけで、同じような推論を行なってしまうのだ。
 実はこれは、条件反射のようなものなのだ。

著者情報

映画監督/脚本家/評論家

樫原辰郎

かしはら たつろう

1964年大阪生まれ。大阪芸大在学中に海洋堂に関わり、完成見本の組立や宣伝などを手がけた後、脚本家から映画監督に。監督作に『美女濡れ酒場』、脚本作に『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説』など。著作に『海洋堂創世記』『「痴人の愛」を歩く』(白水社)、『帝都公園物語』(幻戯書房)『ロックの正体』、近刊予定『バグるラスコーリニコフ』(晶文社)。

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