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連載

第8回 ニューロンと物語

樫原辰郎(映画監督/脚本家/評論家)

 たとえば、蛇を天敵とするサルに蛇の写真を見せたら、反射的に緊張する。明確に恐怖を感じているのだ。人間は、他の動物よりもかなり複雑な思考を行う。たとえば、蛇のような物体を見つけたら、「おや、あれはなんだろう?……蛇のように見えるけど、蛇だろうか、それとも単なるロープが捨ててあるのだろうか?」と、このように考えている余裕はサルにはない。それが本物の蛇だった場合には噛まれて死ぬかもしれないから。
 実は、蛇に関しては人間もサルと同じで、森の中で蛇に見えるような物体を見つけた場合には、とりあえずビクッと反応する。その後で、冷静に観察したら蛇ではなくて木の根っこだったり捨ててあるロープだったりして、ホッとするのだし。本当に蛇だったら、さらに緊張は続き、その蛇が毒蛇でないことを確認しないことには安心できない。ちなみに、日本ではハブのいる沖縄や南島を別にすれば本当に危険な毒蛇はマムシしかいないので、マムシだけ見分けられればいいのです。ヤマカガシも危険な毒蛇だが、自分から触ったりしない限りはまず咬まれることはない。
 いささか話が逸れたけど、これは人間の思考に関する重要な話でもある。論理的にじっくりと考えるのは、人間だけが獲得した素晴らしい能力なんだけど、じっくり考えていたら毒蛇に咬まれてしまうかもしれないのですね。そして、日常生活で行うことの大半は、慣れてさえいればじっくり考えなくても行えることがたくさんある。毎日の通勤通学で駅の改札を通る時に、じっくりと考える人はあまりいないでしょう。反射的に定期券を、今ならばSuicaのカードやSuicaのアプリを入れたスマホを自動改札機にあてがう。ほとんどオートマで動くロボットのように行動しているのではないだろうか。それで、たまたまSuicaの残額が不足していたら改札を通れなくて、慌てて券売機でチャージしたりする。

(写真:藤村憲司/アフロ)

 人間が何かを考える能力は、もちろん素晴らしいんだけど、ふと立ち止まってじっくりと何かを考えるという行為は、時間がかかるし、脳のリソースをかなり食うのである。だから、我々は日常生活の大半をオートマモードで行えるように自分自身をチューニングしているのです。日本人の大半は、子供の頃から箸を使っているので、箸でご飯を食べる際には、いちいち箸の持ち方を気にしないし、カレーライスを食べる時にスプーンの持ち方を気にする人はあまりいないでしょ。プロの料理人が自分の包丁を握る際には、いちいち持ち方を考えたりはしない。包丁を握った瞬間には、その人にとって最適なかたちで手の中におさまっている。これは、楽器や大工道具を持つ時も同じことで、長年の経験からほぼ無意識に本人にとってベストな持ち方を体得しているから、その作業をほぼオートマチックに行えるし、そうでないと仕事にならない。
 それと同様に、我々が日常生活で行う作業の大半は、オートマモードで行っているんだけれど、我々は自分がオートマで動いていることをあまり意識しないのです。
 逆に言うと、ほとんど何も考えていなくとも我々は日常生活を行えるのだ。凄いな人類。
    我々の肉体の中で、脳は最も燃費の悪いエンジンのようなもので、カロリーを激しく消費するから、日常生活の中でいちいち脳を使って深く考えていたら、簡単なことにも対応できなくなってしまう。なので我々は、普段から頭を使っているつもりでいながら実は要所要所でしか使っておらず、大抵の用件は反射的な行動で処理してしまう。その証拠に、通勤通学の途中で何か見かけましたか?と聞かれても、何も思い浮かばない人が多いのではないだろうか。たとえば、途中で交通事故を見かけたり、派手な色の看板の新しいラーメン店がオープンしていたりすると、ちゃんと記憶に残ります。これは、それを見つけた瞬間に脳がオートマモードではなくなっているからだ。ただし、ラーメンに興味のない人は新しいラーメン屋がオープンしているのを見かけても記憶に残らないかもしれない。たとえば、「ちいかわ」というコンテンツは何年も前から大ヒットして、コンビニやドラッグストアには「ちいかわ」グッズが溢れているのだが、「ちいかわ」に興味のない人はいちいち認識しないわけです。ところが、「ちいかわ」に興味のなかった人が、たまたま『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』を見てハマってしまったとする。そうすると、いきなり町じゅうに「ちいかわ」が溢れていることに気がつくのだ。ちいかわを読んだことのある人は知っていると思うけれども、ちいかわに登場するモブキャラは顔が描かれておらず表情もわかりにくい。名前がついているキャラクターだけが、顔つきや毛並みなどのディテールが描かれている。あれは実は、ある種のリアルな描写で、実際に我々は人混みの中を歩きながら、行き交う他人の顔をいちいち認識してはいない。一緒に歩いている友達なり家族なりの顔しかちゃんと見ていない。
 駅前の人混みの中で、たまたま友達を見つけたりすることがありますよね。あれはどういうことかというと、知っている人の顔は脳内の記憶のフォルに入っているので、視界に入った瞬間に敏速に反応するのだ。ほとんどの他人の顔はちゃんと意識的に見てはいないからこそ、知り合いの顔には反応するのね。我々は文章を読めるわけだが、文字が誕生したのはたかだか5000年くらい前の話で、人類の歴史の中ではつい最近だ。この、読むという能力はそもそも、他人の顔色を読んだり、環境の中で物の形状や状態を判断するためにあったと言われている。森の中で食べられる木の実を見つけたり、空模様から雨が降りそうだぞ、と判断する能力である。それを今は、文字を認識するために使っているわけです。他人の顔色を窺うのも、我々にとっては大事な行動で、たとえば家に帰ってきた時に、家族が険しい表情をしていたら、それだけで緊張する。お母さんが、とても怖い顔をしていたら子供はそれだけで蛇に睨にらまれたカエルのような気持ちになるだろう。理由がわかる前に体が反応するのだ。

著者情報

映画監督/脚本家/評論家

樫原辰郎

かしはら たつろう

1964年大阪生まれ。大阪芸大在学中に海洋堂に関わり、完成見本の組立や宣伝などを手がけた後、脚本家から映画監督に。監督作に『美女濡れ酒場』、脚本作に『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説』など。著作に『海洋堂創世記』『「痴人の愛」を歩く』(白水社)、『帝都公園物語』(幻戯書房)『ロックの正体』、近刊予定『バグるラスコーリニコフ』(晶文社)。

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