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連載

第8回 ニューロンと物語

樫原辰郎(映画監督/脚本家/評論家)

    というわけで、我々の意識というのは反射的な脳の働きによって活性化するわけです。それは、天敵である蛇を見つけた瞬間に緊張して怯おびえる猿と、基本的に同じことであることがわかるだろう。この、反射的な反応というのが重要で、これがあるから我々は公衆トイレの前で悩ましげな顔で立っている人を見た瞬間に、ああこの人は今すぐにでもトイレに駆け込みたいのだな、と判断するのだし、それ以外の理由を想像するのは凄く困難であります。推論による反射的な反応がベースにあるからこそ、映画のモンタージュが成立するわけです。そして、物語というのは、この反射的な反応が生み出しているんですね。 
 蛇を見ただけで緊張し、怯える猿の脳内では既に恐怖という物語が発動している。ホラー映画は始原の物語なのだ。たとえばシマウマはライオンを見つけた瞬間に一瞬で緊張状態に陥り、心拍数や血圧が急激に上昇し、全力で逃げる。そう考えると、サメに食べられるタイプのホラー映画は最古の物語なのである。そこに、サメを退治する物語を付け加えてみよう。すると、サメ退治のための仲間を集めるエピソードもあった方が面白くなるのではないか?と、枝葉末節を足していくとスピルバーグの出世作『ジョーズ』になる。人間は、言葉を使うので他の動物よりも圧倒的に扱う情報の量が多いから、2時間くらいの映画になるような長さの物語を作れるのだけれども、その根底にあるのは「サメに食べられたくない」という本能的な衝動である。

(写真:Universal Images Group/アフロ)

 ここで科学的な話をすると、たとえば山を歩いていて熊が出てきたら大抵の人は恐怖するわけだが、我々の脳には面白い機能があって、目で熊を見た瞬間に、その情報は2つの神経回路のルートで伝わるんです。これは、高速道路と一般道路のようなものだと思ってください。この場合、一般道路モードでは本人の意識とリンクしているから「熊だ!怖い!」と認識するわけですが、高速道路モードは本人の意識とは関係なく、肉体に伝達される。どういうことかといいますと、心の中で「熊だ!怖い!」と思った時には既に、我々の肉体は熊が出たことに対する、緊張した恐怖モードに入っているのだ。
 こういった、脳科学の知識がないと、熊が現れたから恐怖を感じた!と思ってしまうのだが、実際には熊が現れた瞬間に、それが熊だと意識する前に肉体はもう熊にビビッて緊張するモードに入っているわけです。
 そう、物語というのは本能に基づく条件反射のような、脳の反応でできているのだ。
 ウラジーミル・プロップ(昔話研究家)やクロード・レヴィ=ストロース(社会人類学者)、ジョーゼフ ・キャンベル(神話学者)といった学者たちは、物語をプロットやシークエンスといった単位で分析して、あれこれ考察を重ねた。彼らの研究には意義があったけれども、映画監督はプロットよりも細かいヒトの動作、仕草を組み合わせて物語を観客に伝える。
 ぶっちゃけた話をすると、クレショフ効果のような映画の技法は、作り手が楽をするための手抜きのテクニックでもある。だって、実際に刀で人を斬らなくても、斬ったように見えるんですから。実際、黒澤明はこの手の技法がルーティンワークになってしまっているから、もっとリアルな刀の斬り合いを見せてやろうと、『椿三十郎』では向かい合った2人が斬り合った刹那に血が飛び散り、『蜘蛛巣城』では飛んできた弓矢が三船敏郎の顔のすぐそばに突き刺さる場面を撮って、映画表現を革新したわけですが、その手抜きのような手法を繰り返し使っていたグリフィス以降の映画監督たちは、実はプロップやレヴィ=ストロースといった学者たちよりも物語の本質に近いところにいたわけですよ。
 そう、物語というのは脳の反応によって生み出されるのだ。脳科学的に言うとニューロンの発火である。たとえば森の中で蛇を見つけた瞬間に、猿の脳内では恐怖心などの情動を司る部位が刺激されてニューロンが発火する。映画の中で、泳いでいる女性がサメに食べられるのを見た観客の脳内でも似たようなことが起きてニューロンが発火する。これは映画だから、本当に食べられたわけではないとわかっていてもニューロンが発火するのは、意識するよりも先に肉体が反応するからだ。自分が食べられているわけでもないのに、映画の登場人物が食べられているのを見ると恐怖を感じるのは、我々が他人に感情移入をすることで、相手の気持ちを慮ったりする性質を持っているからです。他人に共感したり、感情移入する能力が他の動物よりも高いから、人類はフィクションを楽しめるんですね。
 面白い映画を見たり、小説を読んだりしている間じゅう、我々の脳内では頻繁にニューロンが発火している。だから、物語とはニューロンの発火である!と言い切っても間違いではないんですけど、本当にサメに襲われたり、失恋して胸が痛んだりする際にもニューロンは激しく発火しているので、少し修正する必要がある。
 物語とは、フィクションを受容する際に我々の脳内でニューロンが発火する現象なのです。

著者情報

映画監督/脚本家/評論家

樫原辰郎

かしはら たつろう

1964年大阪生まれ。大阪芸大在学中に海洋堂に関わり、完成見本の組立や宣伝などを手がけた後、脚本家から映画監督に。監督作に『美女濡れ酒場』、脚本作に『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説』など。著作に『海洋堂創世記』『「痴人の愛」を歩く』(白水社)、『帝都公園物語』(幻戯書房)『ロックの正体』、近刊予定『バグるラスコーリニコフ』(晶文社)。

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