李哲にとっての“復讐”
木村元彦(ノンフィクションライター、ビデオジャーナリスト)
仮釈放から、30年が経った。現在は大阪で暮らす李哲に、今年の西大門独立民主の祭典の様子を聞いた。
「まず刑務所歴史館に集まって民主化に向けて闘った人たちの展示室に行くんです。今年は新しく、文益煥(ムン・イクファン)牧師の展示室ができていました。夕方には歓迎の食事会、夜には独立民主祭典の公演を観るというスケジュールでした。公演では有名な歌手やアーティストが歌やダンスを披露するんです」
連載第6回で紹介した「済州4・3抗争70周年光化門国民文化祭」で、俳優のチョン・ウソンが自ら旗振り役を買って出たように、韓国では芸能人たちがデモクラシーの動きを傍観せず、積極的に関わってくる。
「一般市民の方々と一緒に舞台を観ていたんですが、司会の人から突然、『日本から在日政治犯の李哲さんご夫妻が見えています、どうぞ』と呼び出されたんです。そうしたら立ち上がって挨拶するしかないじゃないですか(笑)。事前に聞かされていなかったので慌てました」
刑務所歴史館には李哲が、「獄中にいる良心囚の釈放」と「韓国民主化運動との連帯」を目的として在日の政治犯たちとともに結成した「在日韓国良心囚同友会」の展示室がある。2016年にこの展示室が作られてからは、祭典の祝賀会の宴席で、同友会の代表として李哲が挨拶をしている。この展示室を作るきっかけにも李哲が関わっていた。
在日政治犯のことを伝え残したい
時計の針を数年ほど前に巻き戻す。所用でソウルへ来ていた李哲は西大門刑務所跡が歴史館になったと聞いて、足を向けた。複雑な郷愁を持って現地に着くと、ちょうど小学生のグループが見学に来ていた。30歳ほどの女性の専門ガイドが、説明をしている。それは日本帝国主義時代に監獄ができたいきさつから始まり、時系列で歴史を紡ぐ。李哲も興味深く思い、子どもたちの後ろをずっとついて回った。そのうちにふと気がついた。古くは日帝(大日本帝国)からの独立の志士たち、独立後は韓国独裁政権と闘った全国民主青年学生総連盟(民青学連)、南朝鮮民族解放戦線(南民戦)、人民革命党(人革党)といった高名な民主化運動組織についてはガイドから語られるものの、在日の政治犯の話がいっこうに出てこない。そこで、案内が終わると、小学生の集団に向かって後方から声をかけた。
「実はね、おじさんも大学生のときに捕まって、死刑判決を受けて13年も刑務所の中にいたんだ。40年前、ここには何の罪もない在日同胞も多く捕らえられてすごく苦労をしたんだよ」
子どもたちはもちろんのこと、ガイドもまた息を飲んで驚いた。一般市民はともかく、歴史の専門性を問われるガイドでさえ、在日コリアンが100人近くこの刑務所に収容されていたという事実を知らずにいた。祖国の民主化に命を捧げた在日の存在がなかったことにされている。このままあと10年もしたら、在日同胞がここでどんな苦労をしたのか、韓国では誰も知らなくなるだろう。それを痛感してから、李哲の歴史を伝えるための活動が始まった。
クリスチャンである李哲は、まず民主化のリーダーであった咸世雄(ハム・セウン)神父に会い、西大門刑務所歴史館の敷地に在日政治犯を記念する碑石を建てたいと相談した。咸神父は協力を快諾し、文錫珍西大門区長を紹介してくれた。
区長は「敷地に碑石を建てるには、文化財庁の特別な許可が必要になるので難しい」と言いながらも、旧獄舎の建物は西大門区の管理下にあるので、そこになら、自分の権限で在日政治犯の展示室を作ることはできる、と、より積極的な提案をしてくれた。そちらのほうがずっといい。区長はすぐさま、旧獄舎を管理している歴史館の館長や幹部を数人呼んで、その場で話を決めてくれた。李哲には一つ、ぜひ確認したいことがあった。
「区長さん、これは一回だけの展示ではないですよね?」
区長は即答した。「いえ、これは常設です」
願ってもないことだった。
こうして、16年に西大門刑務所歴史館に在日政治犯の展示室が新たに作られ、そこには李哲たちの救援を呼びかけるビラや、刑務所に差し入れられた本、面会に訪れる日本人が当時学んだ韓国語のガイド本などが陳列されている。
憎悪に囚われないことを選んだ李哲の“復讐”とは?
私は最後に聞きたいことがあった。まったく身に覚えのない捏造による容疑で逮捕され、拷問にかけられ、ソウル拘置所に収監され、減刑後もさらに5回も各地の矯導所を引き回され、地獄のような苦しみを味わわされたにもかかわらず、李哲からは、いついかなるときも、憎悪や報復感情が一切発せられない。
在日韓国良心囚同友会は、近年になって在日政治犯たちの再審請求を行い、何人もが無罪を勝ち取っているが、李哲は14年の再審で、無罪は不要だと毅然と言い放った。
「私ももう70歳近い白髪の老人になり、いつあの世に行って、亡くなった両親と会うことになるかも分からない。そんな私にいまさら無罪の判決など要らないし、下さなくてもいい。ただひとつ願うことは、私があの世で安心して両親に会えるように、53~54歳の非命で亡くなった両親の魂を安心させて欲しい。願いはそれだけです」
李哲の強さは、宗教者としての強さなのだろうか。
李哲は言った。
「神は克服できる試練しか人に与えないというのならば、この試練は克服できるものだと思うことができました。誰もがこんなことを経験できるものではない。そして、それは憎悪や復讐心に囚われないことにもつながります。おこがましい言い方ですが、僕らが試練を克服して、立派に成長することが、彼らに対する“復讐”になると思っています。私は唯一、その意味でだけ、“復讐”という言葉を使うんです。軍事独裁政権の人間たちに、李哲を捕まえて刑務所に入れたことは間違いだった、なぜなら、こんな人間に生まれ変わって帰ってきてしまった、と思わせる。それが私の彼らに対する“復讐”なんです」
韓国の「歴史を認め、振り返り、赦す勇気」こそが、現在の東アジアの平和構築を牽引する力になっている。翻って日本の「歴史修正」は底が抜けていると言えまいか。
私は李哲と、この西大門刑務所歴史館を訪れるツアーを計画しようとしている。