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連載

関東大震災後の虐殺事件から100年、作家・目取真俊が見据える沖縄基地問題と差別扇動

木村元彦(ノンフィクションライター、ビデオジャーナリスト)

目取真 ほとんどが、私がこれまでに実際に聞いてきた沖縄戦体験者の話を基にしています。聞かせてもらった話を書かないといけないという思いがあります。沖縄戦で何があったかを書き残さないと、事実が捻じ曲げられて、なかったことにされてしまいますから。

 ――目取真さんは連日、辺野古の海でカヌーを漕ぎ、ゲート前で座り込み、新基地反対運動の直接行動を続けています。作家としての読書や執筆についての時間は、どう捻出してこられたのでしょう。

目取真 活動に集中している時期は、本を読み、小説を書ける時間はわずかです。東京とか大阪に住んでいれば小説に集中しやすいでしょうが、沖縄は日常生活の中に基地問題がある。40代から50代の最も書ける時期に多くの時間を失った、という思いはありますが、結局は創作能力の問題です。

 ――特に内地の作家には見えないものを、この地から睥睨(へいげい)されているのではないでしょうか。

目取真 日本は世界の先進諸国やアジア諸国の状況と違う。基地問題だけでなく、韓国にしろ、台湾にしろ、アジアの国はどこも、独裁政権のもとで血を流しながら民主化を実現していった。しかし、日本の戦後はそうではなかった。そのためかこの島国だけが、異空間になっているんです。作家も自分たちの役割はせいぜい集会とかで発言するくらいでいいんだみたいな感じじゃないですか。アジア諸国の民主化運動では、拷問や投獄を経験しても書き続けてきた作家がいくらでもいます。
 こんなに多くの情報が入ってくる時代なのに、入管法を含めてこれは酷いと思う法律がどんどん通っていく。「台湾有事」を口実とした軍事拡大にしても、どれだけのリアリティがあるかきちんと検証しないといけないのに、既成事実が進んで、自衛隊を配備することが当たり前みたいになっていく。ひろゆき氏も含めてネットで沖縄の基地問題についての討論をしていましたけれど、お話にならないぐらい低次元ですよ。背景も歴史も知らない。

 ――ひろゆき氏は、もともとは普天間の基地があった周りにあとから来た住民が住宅を造った、などのデマを配信していました。

目取真 辺野古の運動を叩いて、抗議している人を馬鹿にすれば、喜ぶ人たちがいて、そういう差別的な動画が何万回も再生されて炎上商法みたいな形でカネを稼ぐ。それが普通に行われる時代になってしまいました。

 ――基地の合理性を議論する以前にまったくのデマが流されています。反対運動を冷笑し、しかもそれをビジネスにしている。

米軍キャンプ・シュワブゲート前の看板(2023年6月)

目取真 もう少しまともな判断力があれば、この辺野古の新基地に軍事的な合理性はあるのかと考えられるはずです。広島のG7サミットに現れたゼレンスキー(ウクライナ大統領)は、さらなる武器支援を要請し、戦闘機が欲しいとまで言っていました。しかし、オスプレイが欲しいとは言わないじゃないですか。役に立たないことが分かっているんですよ。米軍はアフガニスタンでもオスプレイを前線には出さなかった。図体がでかくて速度の遅いオスプレイは携帯ミサイルで狙い撃ちされますよ。滑走路の短い辺野古新基地は、大型輸送機の運用もできません。米軍は辺野古新基地か完成しなくていい、工事が長引いた方が普天間基地を使い続ける理由となる、と考えていると思います。
 辺野古新基地建設やアメリカの武器を購入するのに使う膨大な予算を、学術振興や先端技術の開発、教育や少子化対策に回すべきだし、そうしないと日本は自滅の道を転げ落ちるだけです。
(注)2023年8月27日にオーストラリア北部で訓練中のオスプレイが墜落し、3人の米海兵隊員が死亡している。

沖縄北部出身というバックボーン

 ――目取真さんの活動において、沖縄北部出身という原体験が大きいと伺いました。

目取真 外から来るとなかなか見えないかもしれないけれど、沖縄内の差別もあります。北部は南部の首里・那覇とは違い、貧しい過疎地域です。
 (昔は)那覇の人が落ちぶれて北部に来ても、「自分たちは『サムライ』の子孫だから、農民とは結婚できない」というような時代がありました。海兵隊基地を北部に集中させる発想にも、ヤンバル(北部)への差別意識が根底にあります。
 沖縄島北部を治めていた北山王は15世紀に首里に滅ぼされ、北部は首里の支配下に置かれました。何かと言えば首里城がもてはやされますけど、私から見ると、首里城は庶民支配の象徴です。城壁を見たら、この石を当時の農民が畑仕事もあるのにかり出されて、石を割って運ばされ、積まされていたことを感じるんです。焼失した首里城の復元事業で、大龍柱(だいりゅうちゅう)が正面を向いていたのか、横向きで向かい合っていたのか議論しています。正面を向いているのが、琉球併合以前の「琉球本来の姿」とも言われていますが、私にすれば、例えば龍が正面を向いて見降ろしているということ自体、権力者が、庶民を威嚇して従わせているということ。
 沖縄島のなかで首里からは差別的に扱われていた北部・ヤンバルに生まれたことや、障がいを持つ幼馴染をいたわっていた父、貧しい人たちを助けていた祖父母の影響は大きいと思います。

 ――お父様だけでなく、お祖父様も頼って来られる方を加護して、いろんな社会活動をされていたのですね。

目取真 父方の祖父で喜三郎、と言います。(後に共産党の指導者となる)徳田球一が名護の出身なんですが、大正のはじめぐらいにはまだ地元にいて、そこで「あけぼの会」という学習サークルを作っていて、祖父はそこに通っていたようです。そして大阪の西成に出ていくわけです。1920年代30年代の大阪で、琉球人解放とか、無産党の活動をしていたんですよ。そんな中でいろんな地域を転々として、私の祖母と知り合ったんです。
 祖母は神奈川に出て紡績工場で働いていましたが、関東大震災が起きる半年ほど前に沖縄に帰って来ました。当時(震災後)は朝鮮人の虐殺が起こり、沖縄の人も標準語をうまく話せないから、自警団に疑いをかけられて殺されそうになったりしました。
 父親は沖縄戦で鉄血勤皇隊として戦っていましたが、一緒に山の中で逃げていた日本兵に殺されそうになった体験を話していました。沖縄戦のときは米軍よりも友軍(日本軍)のほうが怖くて、実際に日本軍に殺された人もたくさんいます。そんな話を私は直接、聞いてきました。
 日本の中で、ヤマトゥンチュウの下に琉球人がいて、その下に台湾、朝鮮という植民地支配の構図があった。沖縄や中国、韓国へのヘイトスピーチを見ると、関東大震災から100年経った今でも基本的には変わってないですよね。

「人殺しの訓練」を見た衝撃

 ――文学との出逢いについてと、基地の問題に向き合われた時期を教えていただけますか。

目取真 エミリー・ブロンテの『嵐が丘』を高校2年生で読んだのが転機になりました。その頃からもう、自分は小説なり詩なりに関わって一生を生きていくんだと思っていました。大学に入ったら、社会運動との関わりが出てきました。琉球大学の国文科に入るのですが、ここは(ジャーナリストの)新川明(あらかわ・あきら)氏などの出身学科で、昔から学生運動の中心でもあったわけです。米軍統治時代、英文科は行政や銀行などの就職に有利でした。それに対し国文科は反骨芯の強い学生が多く、それは施政権返還後も続いていました。

 基地問題に関わるようになったのは、大学に入って喜瀬武原(きせんばる)とかの米軍演習の現場に行ってからです。それまで住んでいた今帰仁村(なきじんそん)には基地がなかったので、軍事演習を目の当たりにして受けたショックが大きくて、現在に至る行動にもつながっていく。住宅地のそばで米兵が銃火器を使い人殺しの訓練をしている。そして、住民が被害を受ける。沖縄の現実を目の当たりにした。
 ベトナム戦争時には、沖縄から米軍の戦闘機や爆撃機が出撃している。ベトナムで無辜の市民に対して空爆が行われて、枯葉剤が撒かれた。米軍機はどこから飛んで来るんだと。いくら憲法9条があっても日本は平和国家じゃないというのがわかります。自分の目で確かめないといけないというのが、身に沁みました。

著者情報

ノンフィクションライター、ビデオジャーナリスト

木村元彦

きむら ゆきひこ

1962年、愛知県生まれ。中央大学卒業。東欧やアジアを中心に、スポーツ文化や民族問題などの取材、執筆活動を続ける。著書に『誇り』(98年、東京新聞出版局)、『悪者見参』(2000年、集英社)、『終わらぬ「民族浄化」セルビア・モンテネグロ』(05年、集英社新書)、『蹴る群れ』(07年、講談社)、『社長・溝畑宏の天国と地獄』(10年、集英社)、『争うは本意ならねど』(11年、集英社インターナショナル)、『徳は孤ならず』(16年、集英社)、『橋を架ける者たち』(16年、集英社新書)、『無冠、されど至強』(17年、ころから)、『コソボ 苦闘する親米国家 ユーゴサッカー最後の代表チームと臓器密売の現場を追う』(23年、集英社インターナショナル)など多数。『オシムの言葉』(05年、集英社インターナショナル)で第16回ミズノ・スポーツライター賞を受賞。

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