関東大震災後の虐殺事件から100年、作家・目取真俊が見据える沖縄基地問題と差別扇動
木村元彦(ノンフィクションライター、ビデオジャーナリスト)
それと、1995年に3人の米兵による小学生女子に対する暴行事件が起きました。このときも日米地位協定によって日本側への加害者引き渡しが拒否される。それ以降も同じような事件が何度もあって、沖縄にいれば新聞やテレビから、否(いや)が応でも目に入ってくる。
基地の前で座り込みをやったからといってすぐに解決できるわけでもない。でも頑張っている人たちがいるのに黙って家の中にいるわけにいかないという気持ちになるんです。実際に闘っている人と接することで学びや励みを得ています。
沖縄の人たちは、辺野古の基地問題がなければ、浜やゲート前で座り込みを続けた7000日を自分の人生のためにもっと有意義に使えたわけですよ。名護市民がいかに膨大な時間を奪われ、日常の幸福を浸食されているか。これこそが私は、基地がもたらす最大の問題だと思っています。これ(座り込み)はもっと続いて10000日を超えるかもしれません。自分が80歳になるまで、ずっとこれに関わるかと考えたら本当に気持ちが重くなります。しかし、やめるわけにはいかない。
沖縄における文学と言語
――作家がどの言葉を駆使して作品を書くかというのは大きな命題かと思います。僕は、後に「ウルトラマン」シリーズの脚本家となる金城哲夫(きんじょう・てつお)さんが脚本・監督を務めた自主映画『吉屋チルー物語』(1962~63年製作)を拝見したのですが、全編ウチナーグチでした。いわゆる日本文学の中に、沖縄のその文学というものが、どういうふうな位置づけなのか。日本文学に入っていたほうがいいのか、あるいはまた別のものとして決裂していたほうがいいのか。それもこの機会にお伺いしたいと思います。
目取真 例えば、大城立裕(おおしろ・たつひろ)さんは、日本の言葉では表現できない沖縄独自の表現を付け加えることで、日本文学を豊かにする、ということを言っていました。
歴史を遡って考えれば、沖縄が明治政府に暴力的に侵攻されたときに、沖縄の言葉も日本語の体系の中に組み込まれたんですよね。琉球語は近代言語として確立する前に日本語のなかに「方言」として組み込まれ、さらに無理やり日本語教育をして「方言札」まで使うことで、沖縄語の撲滅が図られた。国家統合されていく中で沖縄語は抑圧され、その過程で生まれたのが沖縄文学なわけです。戦前は小説家を志した人は東京に出ていった。
日常的に使っている母語としての沖縄語と、表現の手段としての日本語、その狭間で活動するというのは、沖縄の書き手が抱えてきた問題だったわけです。さらに、沖縄の中でも首里・那覇が中心で、沖縄島北部や宮古・八重山、与那国の言葉は少数派だから、そのまま書いてしまうと、沖縄の中でさえ理解されません。
――なるほど。
目取真 結局、日本語の日本文学の中に組み込まれてしまうわけですよ。日本文学の1ジャンルとしての、沖縄文学という形で。それはやっぱり政治とも関わっていて、沖縄語が一つの言語として確立するためには、国家なり、あるいは自治体として独立というところまでいかないことには難しいと思いますよ。消滅の危機にある言語をどう継承し、表現していくかは、世界の先住民の共通課題でもあります。

目取真俊『魂魄の道』(影書房、2023年)
蛮行が消され、美談が消費される世界で
――沖縄に対する差別は減少するどころか、どんどん酷くなっているように思います。この21世紀になってからの空気の変化をどう見ておられますか。
目取真 南京虐殺事件、従軍慰安婦、沖縄の集団自決など、日本軍による加害の記述が、教科書から徐々に削除されていって、それを学ばない世代が40代になって、彼らが主流になって、世論を作っていく。象徴的なのは、島田叡(しまだ・あきら)知事みたいな人物が美化されたりしていることです。
――沖縄戦時の沖縄知事ですね。「命(ぬち)どぅ宝(命こそ宝)、生きぬけ!」と住民に伝えてその命を守ったと、映画『島守の塔』(五十嵐匠監督、2022年)では描かれていますが、この島田知事発言の根拠は見当たらず、むしろ男子中学生の名簿を日本軍に差し出すなどして全面協力したことで、県外からきた兵士よりも沖縄住民の犠牲が多くなったと言われていますね。
目取真 英雄にされています。このように日本人の「美談」めいたものはフィクションでも掘り起こされる。沖縄に自衛隊を配備するために日本軍の蛮行の歴史は邪魔になる。だから、今は、戦争の怖さみたいなものがどんどん消されているんです。
――関東大震災のときに朝鮮人を暴徒から保護した大川常吉・鶴見警察署長の利用のされ方にも似ていると思うのですが、日本の内務省行政官にも良い人はいたということで蛮行の責任を薄める。一方で、最近では、麻生太郎が台湾で「戦う覚悟」と発言して緊張を煽る。徐々に「米軍基地には中国から守ってもらう。だから文句を言うのはおかしい」という雰囲気が醸成されて、それが頭上で戦闘機が轟音を立てる中で切実な沖縄の基地反対運動を続けている人たちに対する冷笑やヘイトにつながっている。
目取真 冷笑主義、シニカルな風潮は、80年代以降、ポストモダンの中から広まってきましたね。イデオロギーも崩壊して、日本みたいに絶対的な宗教や哲学を持たないような社会だと、浮遊しながら上手く世の中を渡っていけば良いというような空気が蔓延するんですよ。虚無的な空気の中で、非正規雇用が拡大して若者の貧困問題が深刻化する。明日の希望を持てない世代が生まれて、一方ではネット社会で要領よく生きていく世代がいる。それにしたってシニカルな生き方だと思いますよ。
――冷笑主義は自己責任や新自由主義経済とも親和性が強いですね。
目取真 経済で言えば、米軍基地を返還させて跡地を再開発したほうが、雇用や税収が増えて発展するのは明らかなんです。それなのに、米兵に暴行されたり、オスプレイが墜落する、そんなリスクがある基地を沖縄に押し付けてきた。そして住民の反発がおさまらないと、振興予算をばら撒いて、カネ目当てだとデマを飛ばす。さらに「ニュース女子」などは、反対運動をしている人が日当をもらっていると言い募ったわけですから、下劣極まりないです。