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連載

保守主義――次代に何を伝えるのか

吉田徹(同志社大学教授)

『目撃』では、下劣な存在として描かれた合衆国大統領ですが、アメリカ映画には反対に大統領の姿を通じて社会で守るべき価値を示す伝統もあります。
『LBJ――ケネディの意志を継いだ男』(ロブ・ライナー監督、2016年)は、アメリカの第36代大統領だったリンドン・B・ジョンソン(通称LBJ)の施政を描くものです。アメリカ憲政史で副大統領が大統領になったのは現在のバイデン大統領を含めて15人しかいませんが、ジョンソンもその数少ない一人です。1963年のジョン・F・ケネディ大統領暗殺時に副大統領を務めていた人物といえば、わかりやすいかもしれません。63年11月22日、ケネディ大統領が暗殺されたダラスの飛行場で、大統領専用機の中でケネディ夫人のジャクリーンの横で大統領就任の宣誓をしている写真は世界的に有名になりました。そのダラスのあるテキサス州は、ジョンソンが生まれ育ち、自らの選挙区とした土地でもありました。
 映画は、ケネディの暗殺事件と、その3年前にジョンソンがケネディに民主党内の大統領候補選で敗れ、副大統領候補となるよう説得される場面とが交互に展開していきます。アメリカでは、白人の高齢男性であるバイデン大統領が若い黒人女性のカマラ・ハリスを副大統領に据えたように、そして若い黒人のオバマ大統領が高年齢の白人のバイデンを副大統領としたように、大統領と副大統領のコンビを補完的にすることで、票が集まりやすくなります。カトリックで名門出身、リベラルな価値を掲げたケネディと比して、南部の高校教師からの叩き上げで、議会政治に熟知した民主党内の保守派のジョンソンこそが副大統領として相応しいとされたのでした。
 ジョンソンは「ケネディは馬術用の馬だ。見た目はいいが役に立たない」と彼を馬鹿にする一方、ケネディ陣営も「(ジョンソンを)組合もリベラルも嫌っている」と、南部の票を獲得するための戦略上の止むを得ない選択であることを隠しません。いわば革新リベラルと保守的な南部の仲介役として期待されたのがジョンソンだったのです。ちなみに、ケネディが大統領に選ばれて以降、戦後の民主党大統領はほぼ例外なく南部出身者でした。
 この時代、ベトナム戦争に加えてアメリカ社会を大きく揺るがしていたのは、公民権運動でした。1963年8月には「ワシントン大行進」と呼ばれる、社会に残る黒人に対する人種差別撤廃を求めて数十万人が参加する史上最大規模のデモなど、アメリカ現代史を語る上で欠かせない出来事も起きています。ただ、ケネディ政権が推し進めようとした公民権法は、上院の南部出身の議員たちを中心とした反対にあって成立が見込めない状況にありました。
 ケネディ暗殺という誰もが予期しなかった事件が起き、ジョンソンは思わぬ形で大統領の座を手にします。南部の議員団はこれを歓迎し、「我々は一世紀もの間、北部に虐げられてきた」と、南北戦争の記憶を新たにします。
 しかし、大統領となったジョンソンは「ケネディ大統領の大義を継ぐ弔い合戦だ。テキサス人のタマのでかさを見せてやれ」と、大方の期待を裏切って、南部の議員団が反対していた公民権法の成立に邁進することになります。

映画『LBJ』より。南部の議員と対峙するジョンソン(右)

 ジョンソンの伝記などを読むと、彼はなかなかに複雑な人間だったようです。映画でも触れられていますが、小心者で他人の評価を常に気にする一方、周りの人間には横柄だったり、高圧的だったりすることもあったようです。アメリカの副大統領にまつわる作品といえば、好評を博したネットフリックス配信のドラマ『ハウス・オブ・カード 野望の階段』(2013~2018年)も想起されますが、作中の偏屈な性格を持つフランク・アンダーウッド大統領は、ジョンソン大統領をモデルにしたともいわれています(上院の院内総務、副大統領、そして大統領というキャリアパスも同じです)。
 そうした性格に加え、ケネディに対するコンプレックスや南部出身であることの口惜しさとそこから来る自尊心、そして実際に深い愛情をかけていたという黒人の女性召使いの存在なども作用したでしょう。そうした様々なことが相まって、民主党で保守的とされていたジョンソンは、公民権法という、当時としてはもっとも革新的な政策を実現させることになりました。
「アメリカを前進させること、人種や宗教、政治的信念に関係なくすべての国民がお互いに理解し合って尊敬し合う時が来たのです」というのは、映画でも再現されるジョンソンの両院議員総会での演説文です。彼は自身の政権下で「メディケア」や「メディケイド」といった社会保障制度、「ヘッドスタート」といった就学前教育を実現させたことで、スローガンである「偉大な社会」を目指し、今でも人気のある大統領です(もっともベトナム戦争の泥沼化を招いた人物として批判的にみられることもあり、ジョンソン政権以降、南部の有権者が民主党から離反したことから、今でも南部は共和党の地盤となり、アメリカ政治の分極化の原因を作った人物の一人でもあります)。
 アメリカは、黒人の奴隷解放があった南北戦争以来、分断にあえいできました。作中、ジョンソンは記念堂に鎮座するリンカーン像に向かって「あんたの後始末は私がつける」と言い放つシーンがあります。『LBJ』は、黒人の奴隷解放以降、人種的融和を目指したアメリカを保守しようとした保守主義についての作品でもあります。それでも、ジョンソンの希望もむなしく、アメリカの夢は未だにその途上にあります。アメリカの保守主義の再生が待たれる所以です。

 

『バベットの晩餐会』――人の喜びとは何か

 19世後半のデンマークの貧しい漁村を舞台にした『バベットの晩餐会』(ガブリエル・アクセル監督、1987年)は、同年にアカデミー賞最優秀外国語映画賞を受賞し、教皇フランシスコが「愛の喜び」と呼ばれる勧告(2016年)でも言及したことでも知られる、寓話的な作品です。
 ルター派の宣教が盛んなこのうらさみしい漁村では、マーティーネとフィリパという、牧師を父親に持つ美人姉妹が、献身的に村人たちの面倒をみています。何分、質素と倹約が美徳とされるルター派。提供される食事は「レッゲスイブレズ」と呼ばれる魚の干物、そして「リッツウル」と呼ばれるパンのビール煮込みくらいしかありません。村にやってくる軍人や有名歌手は姉妹の虜になりますが、神の御心に生きる彼女たちの心は、恋心や芸術にも動かされることはありませんでした。
 この姉妹のもとに、1871年、フランスからバベットという女性が訪れます。革命政府が生まれたフランスのパリ・コミューン騒動で貴族の夫が処刑された彼女は、伝手を辿って単身亡命してきたのでした。彼女は、召使いとして姉妹の世話をするという条件で村での滞在を許されることになります。
 そのバベットが唯一、自分の国とのつながりとして大事にしてきたのは、毎年、フランスから送ってもらう宝くじでした。そして彼女が滞在してから14年が経って、そのくじが当たるという幸運に恵まれます。この年は、姉妹の父親である牧師の生誕100周年に当たるため、バベットは宝くじの賞金を使って村人のために盛大な晩餐会を開くことを提案します。マーティーネとフィリパは彼女の熱意に押されて承諾したものの、ウズラやトリュフ、ウミガメ、キャビア、シャンパンなど、これまで口にしたことがないのはもちろん、みたこともない食材が次々と運び込まれるのをみて驚愕します。「悪魔の饗宴だ」「全員、味覚がないみたいに振る舞おう」――村人たちは戦々恐々として晩餐会にのぞみます。

映画『バベットの晩餐会』より

著者情報

同志社大学教授

吉田徹

よしだ とおる

1975年生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。専門は比較政治学、ヨーロッパ政治。著書に『ミッテラン社会党の転換』(2008年、法政大学出版局)、『二大政党制批判論』(2009年、光文社新書)、『ポピュリズムを考える』(2011年、NHK出版)、『感情の政治学』(2014年、講談社)、『「野党」論』(2016年、ちくま新書)、『アフター・リベラル』(2020年、講談社現代新書)などがある。

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