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連載

第5回 どんな平等がいいの?(後編)

川口好美(文芸批評家)

キリスト教ってあぶない宗教!?

 こんにちは。今回も内村鑑三のことばをてがかりにして、〝平等〟を考えましょう。
 まず前回を振り返りますね。先生をしていた内村さんが、学校の行事で教育勅語に向かって深いお辞儀をしなかったことが、大きな騒動に発展しました。1891(明治24)年の「一高不敬事件」です。この出来事は、内村さんの人生だけではなく、この国の重大な岐路になりました。文字が書かれた、ただの紙きれにお辞儀しなかっただけですよ! それが日本全体を揺るがす大事件になるなんて、フシギな気がしますよね。ですが、当時は、海外から新しいモノや技術や考え方が押しよせてくる中で国を作りはじめたところでした。強い国として外国から認められないと、国を乗っ取られてしまうんじゃないかという不安もありました。はやくヨーロッパの大国やアメリカと対等にならなくちゃというプレッシャーで、ピリピリしていたのですね。そのため、小さな火だねでも炎上する可能性があったのです。
 この事件が、国のありかたにどんな影響を与えたのでしょうか。
 事件の前の年に施行された「大日本帝国憲法」は、国民の信教の自由を保障していました。どんな宗教を信じるのも個人の自由ですよ、ということを一度は国として認めていたのです。そこにはもちろん、キリスト教を信じる自由も含まれていました。しかし事件をさかいに、世の中はつぎのような空気に包まれました。まず、キリスト教は教育勅語のメッセージに刃向かうあぶない宗教だ、という見方が広がりました。そして、天皇中心の国作りを進めるためには、宗教を信じる自由を犠牲にしても仕方ない、と多くの人が感じるようになっていったのです。※1

新しい約束とキリスト教

 明治政府の最初の文部大臣として学校の仕組みを整えたのが、森有礼(もり ありのり)という人でした。森さんは、キリスト教を日本の教育に利用しようと考えていました。そこには、深い動機があったのです。

明治政府で最初の文部大臣  森有礼

 みなさんは「富国強兵」という、明治時代に唱えられた合言葉を知っていますか。〈経済を豊かにして、外国に対抗できる強い国を目指しましょう〉という意味です。そのために重要な役割を果たすのが、大規模な工場と軍隊でした。
 そのどちらにも共通していることがあります。工場も軍隊も、全国各地から、様々なメンバーが集まりますよね。メンバーがどこで生まれたかや、どんな家で育ったかにかかわらず、その場で協力し合い、競い合えないと、うまくいきません。そんなこと当たり前にできるとわたしたちは感じますよね。でも、共同体のオキテ(一つの地域に暮らしてきた人々や、一つの職業に従事してきた人々が、自分たちが安心して生きるために取り決めた昔からのルール)に従って生きてきた人々にとっては、簡単ではなかったのです。これこそが、学校が整備された大きな理由でした。子どものうちに教育して、将来役に立ってもらおうというわけですね。
 学校では、〈自分は〝自由〟だ〉という感覚を子どもたちに教えようとしました。
 これは第一に、これからの時代は古いオキテに縛られず、〝自由〟に生きていいんだ、という自覚のことですね。ですが、それだけでは工場や軍隊はうまく機能しません。他のメンバーと生活したり、作業したりするには、最低限の約束が必要です。他人を騙したり、傷つけたり、不公平に扱ってはいけないよね、というシンプルな約束です。それがないと、競争も、ただの騙し合いになってしまいかねないからです。
 その約束の鍵をにぎるのが、〈自分は〝自由〟だ〉という感覚なのです。
 わたしが〈自分は〝自由〟だ〉と感じるのと同じように、他人も〈自分は〝自由〟だ〉と感じるにちがいない、と想像します。すると、わたしの〝自由〟を他人に大切にしてもらうには、わたしも他人の〝自由〟を大切にしなければいけないんだな、と気付きますよね。
 ここまでくると、〝自由〟が、この世界を〝平等〟にする、ポジティブな力に、だんだんレベルアップすることがわかるでしょう。人間は、一人一人が〝自由〟な、かけがえのない個人だ。だからこそ、すべての人の〝自由〟が尊重されなければならない。つまり、誰もが〝平等〟に扱われなければならないんだ。そういう考えが、導き出されるのです。この考えさえしっかりしていれば、他人との協力も競争も、気持よく進められそうですよね。
 さあそこでキリスト教の出番というわけです。ざっくりした説明ですが、キリスト教の神は、現実世界をはるかに超えた存在だとされています。だから、神はどこにいるんですかと聞かれたら、けっきょくは、それぞれの人の心の中ですよ、と答えることになります。『聖書』を読み、心の中で神と対話し、より良く生きるための指針になる良心や道徳心をはぐくんでいく。これが、キリスト教を信じる道すじです。ですので、個人の内面が大事にされます。心は神とつながる場所なのだから、どんな人の内面も神聖なんだ、心の〝自由〟を守らなければならないんだ、と考えるのです。※2
 なぜキリスト教の考え方を教育に役立てようと思われたのか、わかっていただけましたか? これから新しい社会を作るために、個人の心や内面にもっと注目しなければならない。それには、キリスト教を理解するのがベストだと考える人が、明治時代のはじめ頃の日本にはたくさんいたのです。

深く怒るとは?

著者情報

文芸批評家

川口好美

かわぐち よしみ

1987年大阪生まれ。2016年、「不幸と共存──シモーヌ・ヴェイユ試論」(『群像』2016年12月号、第60回群像新人評論賞優秀作)でデビュー。2021年から、静岡県川根本町の小集落・沢間で「本とおもちゃ てんでんこ」を家族で営む。著書に『不幸と共存 魂的文芸批評』(法政大学出版局)がある。

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