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連載

第12回 生まれてきて、よかった?(前編)

川口好美(文芸批評家)

第一次世界大戦と再臨運動

 さて、日本でも、キリスト再臨の期待がふくらんだ時期がありました。全国各地で再臨の意義を解説する講演会が開かれ、たくさんの聴衆が会場につめかけました。その主張に反対する人々もあらわれ、賛成派と反対派のあいだで議論が交わされました。終末論ブームが巻き起こったのです。この「再臨運動」を、賛成派を代表する宗教家として引っ張ったのが、内村さんでした。
 といっても、内村さんが積極的に運動にかかわった期間は短くて、1918(大正7)年の一年間に、ほぼ集中しています。また、再臨を主張した人たちのあいだにも、様々な意見の違いがありました。内村さんのスタンスはまた後で確認したいと思います。どうしてキリスト教が根づいているわけではない日本でも、欧米に連動するかたちで運動が広がったのか。その理由を先に押さえておきましょう。
 この時期、世界規模(こちらは〝グローバル〟という意味です)の大事件がありました。第一次世界大戦です。
 第一次世界大戦には、それまでの戦争にはなかった特徴がありました。何より、死者の数が、急激に増えました。新型の大砲や銃、飛行機、毒ガスなど、近代的な科学技術をフル活用した兵器および戦術が取り入れられ、効率よく、大量に、敵を殺傷できるようになったのです。その結果、自分の意思で戦闘に参加する志願兵だけでは戦争が続けられなくなって、徴兵制を実施する国も出てきました。専門的な知識や能力があまりない一般市民まで、武器を手に取って、他国の人々と殺し合うことになったのです。
 こんなかつてない事態に直面した人々の心を、想像してみましょう。長年トレーニングを積んできた兵士であれば、戦場で生き残れたり、生き残れなかったりする理由を、ある程度冷静に、筋道を立てて理解することができます。あの行動のおかげで助かった、あの行動がマズかった、というふうに。しかし、そうでない人にとってはどうでしょうか。おそらく死は、突然降りかかってくる、よく意味のわからないものにしか、見えないはずです。
 大量の、意味不明な死。それは、〝良い人間は報われるべきだ〟という当たり前の感情を、根元から揺さぶります。善人も悪人も関係なく無意味に死んでしまうのなら、自分がかけがえのない一人の人間だと信じることは、難しいでしょう。自分も他人も愛せなくなり、一生懸命生きることに価値を見いだせなくなってしまいます。これは耐えがたいことですよね。だからこそ当時の人は、キリストによって最終的な善悪が判別されるという再臨の考え方に、強烈に惹きつけられたのではないでしょうか。
 イギリスと同盟を結んでいた日本も、第一次世界大戦に参戦しましたが、戦闘による犠牲者の数はそれほど多くありませんでした。主な戦場が、ヨーロッパだったためです。とはいっても、明治時代に入ってから、日本の人々は度重なる外国との戦争を経験していました。しかも同時に、急激な近代化によって、人々の関係性、ライフスタイルが激変していました。そのため、死者の霊をとむらうための儀式や場が、維持しづらくなっていたのです。それは、祖先から受け継がれてきた、〝死〟を意味付けるための方法が、不安定になっていたということです。
 こうした事情が重なって、日本でも〝終末〟の雰囲気が高まり、「再臨運動」を後押ししたのです。じっさい、同じ時期に発生した「米騒動」にかんする新聞記事では、「最後の裁判」ということばが、政府を批判する目的で使われていました。※3 がむしゃらに駆け抜けてきた〝近代〟が、ついに破裂しそうだ。そんな感覚が広く共有されていたのです。この感覚は、冒頭で考えた、わたしたちのセカイの感覚とも、かすかにつながっているのではないでしょうか。

著者情報

文芸批評家

川口好美

かわぐち よしみ

1987年大阪生まれ。2016年、「不幸と共存──シモーヌ・ヴェイユ試論」(『群像』2016年12月号、第60回群像新人評論賞優秀作)でデビュー。2021年から、静岡県川根本町の小集落・沢間で「本とおもちゃ てんでんこ」を家族で営む。著書に『不幸と共存 魂的文芸批評』(法政大学出版局)がある。

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