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キム・ドンリョン監督が語る韓国ドキュメンタリー映画界の闇と光(前編)~ヤンヨンヒ作品の剽窃事件から見えてくる「386世代」の政治と映画の関係

第29回

木村元彦(ノンフィクションライター、ビデオジャーナリスト)

キム はい。この事件は、ホン監督がヤン監督の著作権を侵害した剽窃事件であるにもかかわらず、韓国独立映画協会がわざわざ組織として「剽窃ではない!」という声明を出しました。その理由のひとつには、国家と闘ってきた中で培われた「我が陣営は正しい」という独善的な妄信があったと思います。
 それからもうひとつ、韓国独立映画協会にとっては、剽窃問題をいち早く提起し報道したのが、「中央日報」だったという点も重要でした。韓国には、「チョジュンドン」(朝中東。「朝鮮日報」、「中央日報」、「東亜日報」を指す)という単語があります。言うなれば独裁政権を賞賛し、民主化運動世代を貶め、やつらは「アカ」だと揶揄してきた保守的な三つの新聞の頭文字です。その一つである「中央日報」がヤン監督を擁護したという事実自体が、韓国独立映画協会の人々を刺激しました。彼らは、ホン・ヒョンスクが苦楽を共にした独立映画陣営の仲間であったため、事実を直視しようとせず、無条件でホンを擁護し、ホンに対して問題提起をするヤンヨンヒ監督を“加害者”として非難し始めたのです。その結果、ヤン監督は「在日同胞でありながら、ホン監督の成功に嫉妬している人」だと曲解され、流布されました。

 ――しかし、それは真実を見ようとする姿勢ではなく、ただ保守派メディアとの対立構造から、剽窃問題をすり替え、レッテルを貼ったに過ぎません。

キム その通りです。剽窃であることは作品を観比べればすぐに分かるのに、何故それを認めなかったのか。初めは釜山国際映画祭が、『揺れる心』と『本名宣言』の比較上映会をやると発表しました。ところが、急に上映会にストップがかかり、ホン・ヒョンスクと親密な審査委員たちは自分たちだけで2作品を観比べたと言って、これは剽窃ではないと発信しました。映画評論家たちもこれに同調しました。すると、多くの人がそれを信じました。なぜなら実際に映画を観て確認することができないからです。

韓国の民主化運動世代

 ――被害者を一方的に悪者にしたわけですね。聞いていると、個々人ではなく、韓国の民主化世代(通称「386世代」=60年代に生まれ、80年代に大学生で90年代に30歳代だった世代)が丸ごと内包している問題のようで、根が深いと感じます。

キム 私はこの韓国の386世代に対して、とてもアンビバレント(両価的)な感情を抱いています。386世代が国家の独裁政治に対抗し、国家の独裁政治に対抗し、韓国に民主化をもたらしたのは尊敬されるべきことです。そしてこの世代が共通して持っている集団経験と集団性は、ほとんど彼らのDNAに組み込まれていると私は考えます。強大な敵を相手にするには大きな塊となって闘うしかなかったですし、その中に誰か統率者がいれば、その下にいる人たちは一丸となって軍隊のように働きます。それが効果的だったからです。

1987年4月18日、高麗大学(韓国、ソウル)における学生たちの反政府デモ

 ――日本では「68世代」、全共闘世代と呼ぶのですが、価値観の変遷と戦闘性はその世代と似ている気がします。

キム そうですね。ですが韓国の方は政権に勝利しましたね(笑)。
 この剽窃問題にも言えると思うので私の分析を申し上げるのですが、386世代は20代で独裁国家という大きな敵と闘った経験から、自分たちは常に倫理的に優れているといったアイデンティティを持つようになりました。この世代が30代になって金大中(キム・デジュン)が大統領になったとき、それまで闘争してきた人たちがさまざまな組織の中枢で積極的に登用されるようになります。政界、映画界にもたくさん進出するようになり、それぞれのフィールドで成果を出し始めました。

――民主化を求めて闘った上でそれが成就し、さらには新しい体制に入って巨大な成功体験をしたと。

キム はい。なぜこの『本名宣言』事件のような単純な剽窃問題が、加害者と被害者が入れ替わるというトンデモない(話にならない、ありえない)事件になってしまったのか。それを理解するためには、運動圏世代(386世代のこと)の「倫理的正当性」という集団的アイデンティティを理解する必要があるのです。

映画業界内部から自浄の動き

 ――386世代の問題とも言えますが、一方でこんな剽窃に蓋をするのは恥ずべきことだと、業界の自浄のために声を上げる韓国映画人も出てきました。キム監督のパートナーであるパク・ギョンテ監督は、この『本名宣言』事件を追及する小論文を書いていると聞きました。その中で、『ナヌムの家』(1995年)、『火車』(2012年)などを撮られたピョン・ヨンジュ監督もインタビューに答えてくれたそうですね。

キム はい。彼女がこの問題について公式に発言するのは初めてです。とても憤っていました。小論文に記された発言の一部を読み上げます。
「私が98年の釜山国際映画祭で『本名宣言』を観賞したとき、明らかにヤン監督作品の場面が使われていて、混乱して劇場を出ました。その夜、釜山映画祭の審査員のイ・ヨンベとホン・ヒョンスクが、急に私を呼び出しました。そしてイ・ヨンベから『お前はヒョンスクに嫉妬してるんじゃないか?』と言われました。使用されていたあの映像はヤン監督の撮影じゃないですか、と私が反論すると、ホン監督は『あれは私がヤンヨンヒに指導して撮らせたものであり、剽窃ではない』とまで言い放ちました」

 ――ピョン・ヨンジュ監督はそこまで踏み込んだ証言をしたわけですか。問題は看過できないという強い思いに動かされた証左でしょうか。しかし、98年当時から旗幟鮮明に独立映画協会を批判するポジションを取ったことで、彼女自身にも変化があったのではないでしょうか。

キム 私はピョン・ヨンジュ監督のインタビューを通して、大きな疑問が解けました。映画評論家のチュ・ジンスク(韓国中央大学映画学科名誉教授)と、ナム・イニョン(韓国東西大学校映画科教授、東西大学校イム・グォンテク映画研究所所長)が中心となって書かれた韓国独立映画の歴史の本があります。その本を見ると、韓国独立映画の「父」はキム・ドンウォンであり、すべては彼から始まったように書かれています。一方で、その時期、ピョン・ヨンジュ監督はすでに海外で認められ、多くの賞を受賞されていたのですが、ほとんど触れられていないのです。
 なぜ韓国独立映画の歴史の中に彼女の『ナヌムの家』が重要な作品として言及されていないのか。なぜピョン・ヨンジュ監督が突然、ドキュメンタリーを撮らなくなったのか。多くの人たちは、彼女は商業映画を撮りたくなって変節したのだろうと言いましたが、そうではなかったことが分かりました。
 ピョン・ヨンジュ監督は、直接この事件に関与したわけではないけれど、自分の人生に大きな影響を与えたとお話しされていました。

 ――剽窃されたヤンヨンヒ監督は当時ニューヨークにいて、裁判を起こすエネルギーもお金もなかったそうです。

キム ピョン・ヨンジュ監督はホン・ヒョンスク監督と話した後にヤン監督に電話し、「こんな韓国映画界で申し訳ない」と伝えたそうです。そしてキム・ドンウォン監督に電話をかけて「この事件については、無許可で映像を勝手に使用したホン・ヒョンスク監督がすべて悪い」とも話しました。キム・ドンウォン監督も最初は同意していました。ところが、ある段階から、急に態度を翻したのです。ヤン監督への攻撃に加わり、問題を隠蔽する側に回りました。
 22年が過ぎ、ついにこの剽窃問題の真相が知れ渡ると、韓国独立映画協会のナン・ヒソプ氏は、当時釜山国際映画祭のプログラマーだったイ・ヨングァン氏(前・釜山国際映画祭理事長。今年になって辞任)とキム・ドンウォン監督がかつて、この問題については独立映画界でこれ以上議論しないでほしいと言及したことを暴露しました。

 ――キム・ドンウォン監督が変節したのですね。

著者情報

ノンフィクションライター、ビデオジャーナリスト

木村元彦

きむら ゆきひこ

1962年、愛知県生まれ。中央大学卒業。東欧やアジアを中心に、スポーツ文化や民族問題などの取材、執筆活動を続ける。著書に『誇り』(98年、東京新聞出版局)、『悪者見参』(2000年、集英社)、『終わらぬ「民族浄化」セルビア・モンテネグロ』(05年、集英社新書)、『蹴る群れ』(07年、講談社)、『社長・溝畑宏の天国と地獄』(10年、集英社)、『争うは本意ならねど』(11年、集英社インターナショナル)、『徳は孤ならず』(16年、集英社)、『橋を架ける者たち』(16年、集英社新書)、『無冠、されど至強』(17年、ころから)、『コソボ 苦闘する親米国家 ユーゴサッカー最後の代表チームと臓器密売の現場を追う』(23年、集英社インターナショナル)など多数。『オシムの言葉』(05年、集英社インターナショナル)で第16回ミズノ・スポーツライター賞を受賞。

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