キム・ドンリョン監督が語る韓国ドキュメンタリー映画界の闇と光(前編)~ヤンヨンヒ作品の剽窃事件から見えてくる「386世代」の政治と映画の関係
木村元彦(ノンフィクションライター、ビデオジャーナリスト)
キム キム・ドンウォン監督がなぜ、最初にピョン・ヨンジュ監督に会ったときと、韓国独立映画協会からの連絡を受けた後で態度を突然変えたのかはわかりません。いずれにしても、キム・ドンウォン監督は独立映画人たちから尊敬されていましたし、大きな影響力もあったので、『署名しろ』と言われれば、他の人々はやるしかなかったのです。
そのときの独立映画人にとって重要なのは、それまでは社会的に評価されていなかった韓国の独立映画が、98年の釜山映画祭においてホン・ヒョンスク『本名宣言』でウンパ賞を受賞したという事実でした。独立映画も大きな映画祭で賞を獲得できるという実績ができて、韓国独立映画協会にとっては、アウトサイダーの立場から表舞台に躍り出るという非常に重要な時期でもあったんです。

第27回釜山国際映画祭会場(釜山シネマセンター、2022年10月)
――98年は金大中政権時代で、ちょうど民主化世代がメインストリームに入ってきたころですね。386世代は、何が何でもホン監督に受賞させたかった。そのためにはヤン監督の告発はじゃまだったので、組織的に攻撃して、著作権を侵害された側であるヤン監督の声を封殺してしまった。釜山映画祭はその罪をまだしっかりとあがなっていないのですね。
キム はい。当時、韓国独立映画協会が「中央日報」に抗議し、この事件に対する声明文を発表したとき、独立映画界のすべての人たちがそれに賛同し署名しました。しかし、ピョン・ヨンジュ監督と、ピョン監督作品のプロデューサーであるシン・ヘウン氏の二人だけは署名しなかったそうです。問題の真実をしっかりと見据えていたからです。
――彼女がまだドキュメンタリーを撮っていた頃ですね。
キム はい。当時の韓国独立映画界では、絶えず屈辱的な経験をしたそうです。この事件はピョン・ヨンジュ監督にとって、独立映画との縁を一切断ち切り、商業映画を撮ることを決心させるきっかけの一つになったとおっしゃいました。
――世界的に評価されていたピョン監督がドキュメンタリーから商業映画へと移行していったのは、そういう理由があったからですか。
キム 私が思うに、問題なのは、「剽窃ではない」と書いた98年当時の審査委員たちと映画評論家たちです。実際に見たのか、あるいは作品を見比べもせずになのか、いずれにしてもどちらの側につけば有利かと、政治的にしか動かなかったのですから。
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映画界における大きな権力を前にしてもひるまずに過ちを過ちと指摘して声をあげ、業界を改革して行こうとする姿勢が韓国の若いクリエイターたちにはある。
キム・ドンリョン監督は問題を看過してきた勢力にも声をあげる。
◆【キム・ドンリョン監督が語る韓国ドキュメンタリー映画界の闇と光(後編)~若い世代の映画人たちの良心と、業界の自浄作用】に続く