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連載

保守思想入門

第5回 エドマンド・バークの思想

浜崎洋介(文芸批評家)

   この一節は、二十世紀初頭の保守思想家、G・K・チェスタトンによる「死者の民主主義」(『正統とは何か』)という言葉を思い出させますが、いずれにしろここで重要なのは、バークが、国家についての「契約」を、個々人の利益――また、それを打算する理性――に基づいたものとしてではなく、その国の学問、技芸、道徳などの全ての営みにおいて引き受けられてきた、そして、これからもまた引き受けられていくであろうやり方=作法のようなものとして捉えている点です。それは正確に言えば、「契約」などという個人的で意識的な約束ではなく、人々が暗黙の裡に協力して作り上げてきた信頼関係、あるいは、過去から現在、そして未来へと語り継いでいくその国の「生き方」についての共通理解のようなものとして把握されています。つまり、国家の正統性とは、個々人の「契約」によってではなく、〈長い歴史のなかで作り上げられてきた人々の協力協定=伝統〉によってこそ支持されるのだということです。
   ここには、「ある土地に囲いをして『これはおれのものだ』と宣言することを思いつき、それをそのまま信ずるほどおめでたい人々を見つけた最初の者が、政治社会(国家)の真の創立者であった」(ルソー『不平等起源論』)といったような、文化=国家に対する軽蔑やルサンチマンはありません。それとは反対に、時と処と立場によって変化する幾多の協力協定を積み重ね、それによってかろうじて成り立ってきた〝私たちという共同性〟に対する驚き、それによってかろうじて成り立ってきた「国家」というものの希少性に対する自覚、そして、そんな歴史からの贈り物=伝統(tradition/tra=超えてdonation=与える)を守ろうとする責任感といったものを読みとることができます。

Ⅱ 権利宣言と保守思想――「保存と修正」の原則

 では、バークにとって、最も重要かつ取り換え不可能な「伝統」とは一体何だったのでしょうか? そして、なぜバークは、その「伝統」を守ろうとしたのでしょうか?
 『フランス革命についての省察』のなかで、まず、何よりバークが「強い偏愛」を示したのは、マグナ=カルタ(大憲章/1215年)から続くイギリスのコモンローの伝統(慣習法の支配)でした。が、なかでも重要視していたのは、コモンローの伝統を引き継ぎながら、その精髄を示した「権利宣言」(1689年)の精神だったと言っていいでしょう。
 主に「権利宣言」の精神を成り立たせているのは、世俗的打算を超えて受け継がれてきた〈王位継承のルール〉と、世俗的打算への顧慮を伴った〈臣民の権利〉の二つの条文です。そして、その二つを同時に定めようとした「権利宣言」の精神のなかにこそ、バークは、血みどろの宗教戦争の果てに、チャールズ一世の首を刎ねてしまったピューリタン革命の精神とも、歯止めなき「自由」によって暴走し、ルイ十六世を断頭台へと送ってしまったフランス革命の精神とも違う、イギリス名誉革命独特の均衡を読みとっていたのでした。

「旧ユダヤ人街の紳士たち〔フランス革命を称賛し、それをモデルにイギリスの改革を唱えるリチャード・プライス博士など〕は、一六八八年の名誉革命について自分たちがおこなっているすべての議論のなかで、その四十年ほど前にイングランドで起こったピューリタン革命と、最近のフランス革命を心のなかでくっきり思い浮かべているために、この三つの革命をつねに混同しつづけています。かれらの混同したものを、わたしたちは区別しなければなりません。かれらの誤った幻想を否定しながら、わたしたちは尊敬してやまない名誉革命の実際の法規を思い出して、その真の原理に目を開かなければなりません。」(同前)

 名誉革命(1688年)は、イギリス国民に、カトリックを強引に押しつけようとしたジェイズム二世に対して、英国国教会の立場に立つ議会の抵抗によって成った革命でした。
 様々な説得・政治工作にもかかわらず、ジェイムズ二世の譲歩を引き出せなかった議会は(トーリーとホイッグの両党は)、ジェイムズ二世の長女メアリの夫=オランダ総督オレンジ公ウィリアムに書簡を送って、ジェイムズ二世打倒の協力を請願します。これに応えたウィリアムは兵を率いてイギリスに上陸、議会と力を合わせてジェイムズ二世を追放することに成功するのです。その後、議会は「権利宣言」を上奏し、ウィリアムとメアリがこれを承認、二人は共同で王位につくことになるのですが、後の人々は、大規模な流血の惨事を見ずに成ったこの革命を指して、「名誉革命」と呼ぶことになるのでした。
 ではバークは、「権利宣言」のどこに、可能性を読み取っていたのでしょうか?
 それは、宣言文が、〈世襲による王位継承〉と、〈王権の制限=人民の権利と自由〉とを結び付け、それらを分割することのできないイギリスの伝統として宣言していた点でした。
 個人を超えて個人を導くイギリスの「自然」、そして、その象徴である「王冠」を中心(取り換え不可能な基盤)としながら、それによって開かれた場所に、王権と人民との折り合いと調整の可能性(リフォーム可能な部分)を見出すこと、この「保存と修正」のバランス感覚こそ、バークの「権利宣言」に対する信頼をかたちづくっていました。世俗的打算を超えて受け継がれる〈王位継承のルール〉によって、イギリス国家の揺るがぬ伝統(国家のアイデンティティ)を保ちながら、〈臣民の権利〉によって、その世俗的な試行錯誤をも守ること、これが、バークの見出した「権利宣言」の「真の原理」だったのです。
 そして、このイギリスにおける「保存と修正」の原則にこそ、これまで生きられてきた〈宗教―王位〉を暴力的に切断し、その空位に、単なる〈理性―国家〉の観念を流し込もうとしたフランス革命と、逆に、伝統的な〈宗教―王位〉によって、目の前の〈理性―国家〉を包み込もうとしたイギリス名誉革命との、決定的な違いがあったのです。
 バークは、この「権利宣言」によって示された「保存と修正」の原則を、改めて「先入観」と「理性」との関係として解釈し直し、それを次のように整理していました。序章(連載第2回目)でも確認した言葉ですが、ここにもう一度引いておきます。

「わたしはこの啓蒙の時代に、あえてつぎのように告白するほど不遜な人間です。つまりわたしたちは一般に、教育を度外視した感情で動く人間で、自分たちの古くからの先入観をまるごと投げ捨てるどころか、それを心からたいせつにするのです。さらに恥ずかしいことに、まさに先入観であるからこそたいせつにします。それもその先入観が長つづきしたものであればあるほど、世に広まったものであればあるほど、いとおしむのです。〔中略〕
 わたしの国の思想家の多くはこうした一般的な先入観を否定せず、先入観のなかに生きている潜在的な叡智を掘り出すために知恵をめぐらせます。そして探していたものを見つけても(失敗することはまずないのですが)、先入観の衣を捨ててそのなかの裸の理性だけを取り出したりはしません。内側に理性をふくませながら先入観を維持するほうが望ましいと考えるのです。というのも理性をふくむ先入観は理性に行動を起こさせる動機になりますし、そこにふくまれている愛情によって永続するものになるからです。
 緊急のときにも先入観はすぐに動き出します。先入観は精神を、叡智と徳のしっかりした道へと向かわせるのです。そして決断すべき瞬間に人をためらわせたり、疑わせたり、困惑させたりしません。決断しないままにもさせません。先入観があることでその人の徳は習慣になり、その人の義務は本人にとって自然な本性の一部となるのです。」(同前)

著者情報

文芸批評家

浜崎洋介

はまさき ようすけ

1978年埼玉生まれ。雑誌『表現者クライテリオン』編集委員。京都大学大学院特定准教授。2022年『小林秀雄の「人生」論』(NHK出版新書)で、第31回山本七平賞奨励賞受賞。そのほかの著書に『福田恆存 思想の〈かたち〉イロニー・演技・言葉』(新曜社)、『反戦後論』(文藝春秋)、『三島由紀夫 なぜ、死んでみせねばならなかったのか』(NHK出版)、『ぼんやりとした不安の近代日本』『小林秀雄、吉本隆明、福田恆存――日本人の「断絶」を乗り越える』『日本人の「作法」 その高貴さと卑小さについて』(いずれもビジネス社)がある。

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